歩んできた道とこれからの取り組み

 

2017年4月1日開設の訪問看護ステーションにへの思い

私が、この訪問看護ステーションを始めるきっかけとなったことをお話しさせていただきます。

私は、1998年頃からがんや病気の方にお会いしたり、お話をお聞きできる機会がありました。 喉頭がんで進行がはやく、3週間後にはこのままではがんの進行により声帯を全摘出しないといけないという方のお話を聞けたときには、癌がある事がわかる時点でそんな恐ろしい事があるのか?と思いました。

本当にがんという病気はその人の人生を左右するものであるという認識と、いつそうなるのかわからないという事を知りました。

何かできないかと思い、手術前に病院にお守りを持っていきました。手術後も成功したのか気になったので病院に行くと、点滴にお守りを付けていただき、ボードにありがとう!などとメッセージを頂いた時には、感動して涙を流した事もありました。

他にも弟の友達の祖母の方が、術後、健康に暮らしていたそうですが、進行の早いがんの再発で、あっという間に亡くなられ、お葬式に参列させていただき、勝手に涙が出てきて、悔しかった事もありました。

そして、一番驚いた事は、ステージ4の舌癌と宣告をされ、西洋医学以外の治療方法で完治された方との出会いです。私はそのいきさつ・考え方・思考癖・生き方を取材し、とても聞いているだけで前向きになり、健康を勝ち取るには色々な方法がある事を知りました。

このような経緯から、医師の治療法及びがんを克服した方の治癒までのいきさつ・考え方・思考癖・生き方を取材していきたいと思い、2007年にNPO法人がん克服サポート研究会を設立しました。

NPO法人設立前後に、娘さんが小児がんで、希望をもってもらい輝いて育ってほしいという願いを込め「希輝」(きらら)と名前をつけた!と教えてくれた方がいました。私もその願いがかなって頂ければなどの思いもあり、ニュースレターに「希輝通信」など名前を使わさせて頂き、ご希望者に取材した内容を無料で配布活動も行っていました。

そのような活動を9年ほど行い、もっと実際に人と深く関わったり、役立てることはできないだろうかと思いはじめました。医師・医療従事者の皆さまと一緒に、もっと幅広く役に立つ事はできないのかと考え始めた頃に、訪問看護事業を知ったのです。

訪問看護では、小児から難病、癌・精神などでお困りの方に、医師の指示書に従って看護師及び理学療法士・作業療法士・言語聴覚士が、生まれ育った箕面市及び池田市・吹田市・豊中市・茨木市・豊能町にお住いのご利用者さんのご自宅にお伺いし、退院後の不安を少しでも和らげるお手伝いも出来ますし、地域連携なども含めて深く関わる事ができると思いました。

ご利用者さまやご家族に質の高いサービスとコミュニケーションで新たな可能性を見いだせると思いました。この仕事であれば私達のあり方・接し方により、希望・元気・勇気の源にもなれ、その人らしく生きる為に必要とされる存在にもなり得ると思いましたので訪問看護ステーションの開設をすることに至りました。

私は看護師だから西洋医学の事しか知らないとかこの分野しか知らないというより、ご利用者さんの関わりの中で、偏った目で考えてみるのでなく、全人的な医療の目を持ち、主治医の方とも連携できたらと考えています。

2017年2月には小児がんだった希輝(きらら)ちゃんが治ったと教えて下さったのでうれしい気持ちになり、私の事を覚えていて頂けたという感謝と本当にありがたいと思いました。そんな気配り・心配りもできるステーションにもなれたらという思いでスタートしたいと思います。

 

どうして私が病気の方と関わり、健康に関することで役に立ちたいと思うのか?

会社設立の経緯

父のおかげだ、恩人だと泣きながらの感謝。

1998年頃はプロ野球選手を目指していましたので、練習をするために時給が高い仕事を選んでいました。「今よりもっと稼げるよ!」という誘いから、毛皮の展示会販売で完全歩合の営業をする事になりました。

そこで買って頂いた方より後悔しているご相談を受け、私自身もお金のために自分が気に入らないものを売ってもよいものか?と悩み、?きせんワールド坂井社長(父で会社は東京)に、営業とはどういうことか?と訪ねに行ったときに、健康茶「タヒボNFD」の普及活動をしている事を知りました。

そこで祖母の事もタヒボ茶のおかげで、それがきっかけで父が健康茶「タヒボNFD」の普及活動を始めたことを知りました。私はとにかく野球以外の仕事をするのであればじっくりと聞きたいと思ったので、大阪で開催された「タヒボNFD」説明会に行きました。 説明会には10名ほどの方が参加されていました。

メーカーのタヒボジャパンのお客様カウンセラーの方から「タヒボNFD」の事を一生懸命説明を受けたのですが『ほんまに役に立つのかな』という疑問もありました。いくら祖母がタヒボ茶のおかげと言っても当時疑い深かった私は、『なんでそしたら広まってないん?』 と言う疑問も持ちました。

私は、このような疑問を持ちながら説明会終了後、東京から来ていた父と、私の友達と4人で説明会を行ったビルの喫茶店で話をしていると、父のもとに50歳ぐらいの男性が泣きながらやってきたのです。

奥様も一緒でした。 私は、『どないしたんやろ』と思いよくよく話を聞いてみると、石川県からこられており、『今の健康は父のおかげだ、恩人だ』と泣いているのです。久しぶりの再会らしく、父と会ったら感謝の気持ちを伝えようと思っていたらしいです。

私は、父がこんなにも感謝されている姿を初めてみました。正直驚きました。 私は、ここまで人に感謝される事をしてきたのだろうかと思いましたし、この出来事がタヒボ茶の事を探るきっかけになりました。

 

タヒボジャパン副社長からのあたたかい言葉 「どもりでもなんでもいいから一生懸命やったら人に伝わるから」

私は、「タヒボNFD」説明会後に株式会社きせんワールド社長(父)に泣きながら「ありがとうと」言っている愛飲者の姿を目の当たりにし、さらにタヒボに携わっている人に会いたくて、きせんワールドの社長と一緒にタヒボジャパンへ行きました。そこでタヒボジャパン畠中茂英副社長(現在は社長)と初対面しました。

副社長の第一印象は、とても大きな体で優しそうな方だと思いました。 副社長は、私に『人に対しての思いやり、気持ちがあればうまくしゃべれなくてもいい、どもりでもなんでもいいから一生懸命やったら人に伝わるから』と教わりました。 副社長のとても暖かい口調に、今まで緊張していた気持ちが少しリラックスしたのを覚えています。

畠中平八社長にもお会いしたときには、すごい若くてパワーに溢れていると感じました。確か、握手しただけだったと思いますが、とても大きくてあったかい手だと思いました。 私は、タヒボの事よりもそれを扱っているタヒボジャパンの社長、副社長を見て本当に凄い方達がしているんだなと思いました。大げさかもしれませんが、会えばわかる大きなオーラを感じました。

 

大の病院嫌いのエステのオーナーが「タヒボNFD」を勧める理由

メーカーを見学した後は、今までのお客様に会わせて欲しいとお願いしました。まずは、エステを2店舗経営されている女性の豊岡さんを紹介していただきました。

豊岡さんは、1988年頃にきせんワールド坂井社長に『何とかして欲しい』という事がきっかけでタヒボ茶を飲み続けたそうです。そして10年経った今でもとても元気で、タヒボ茶をどこに行っても持ち歩いて、毎日飲んでいらっしゃるのです。 豊岡さんは、エステにご来店するお客様にもご自身の体験を話されます。 熱心に自身のお話しをすると自然に皆さん信用してくれるそうです。

豊岡さんの熱心、且つ使命感に燃えた姿やお話を聞いたり、目の前で経過が良くなっていかれる方々を見聞きするうちに、「これは本物だ!」と確信するようになりました。

他にもいろんな方との出会いによる影響はたくさんありました。 私はいろんな方との出会い、そして「タヒボNFD」ご愛飲者を深く知った事で『自分が広めないと誰が広めるんだ』という気持ちになったのです。その思いでタヒボを始めました。

 

「タヒボNFD」ご愛飲者を深く知った事で『自分が広めないと誰が広めるんだ』という商品を広めたいという気持ちから、何がなんでも健康を勝ち取ってもらいたいという気持ちへの変化!

私の常識で考えれない方との出会い!2004年7月、私が参加していた経営塾で、宮脇鋼管株式会社会長宮脇さんがゲストスピーカーとしていらっしゃっていました。宮脇鋼管株式会社は、鋼管の卸販売、切断、加工業および鋼管リサイクル業を営む、日本NO,1のシェアーを誇る年商43億円、従業員80人、敷地面積6716坪と非常に大きな会社です。

そして宮脇会長は、事業以外にも全日本選手権8連覇を含む12回優勝という実績をもたれる水上スキーの全日本チャンピオンでもあり、今までとても誰にも真似が出来ない成績を残されている方です。宮脇会長はお話をしている間、絶えず笑顔で聞いている私たちまでもがなんだか理由もなく楽しくなってきました。

「もし気分が落ち込んで笑えない時は、作り笑いをする事から始めたらいい!」とおっしゃるのです。 なぜなら「気分も変わってくる」からとおっしゃるのです。確かに宮脇会長が笑顔でお話をされているのを聞いているだけで気分が変わってくるのですからそうかもしれません。

また、講演中に『言葉』と『思い』どちらが大事かという問いがありました。私は心の中で思ってから言葉を発するので思いが大事だと思いましたが、宮脇会長は心で思うよりまずは言葉を発する事がとても大事だとおっしゃっていました。

例えば『ツイテル』、『ありがとう』とたくさんいえば自然とつきが向いてくるのです。 確かに『ツイテル』、『ありがとう』と言う人、言わない人では私は言う人の方を選ぶと思いました。そんな宮脇会長は、今まで「達成したい!」と思った事は何でも実現してきたとおっしゃっていましたので、言葉を発することは必要なことだと思いました。

私は、言葉だけでなく誰もが驚く結果を見出すパワフルな宮脇会長は、従業員に対してすごく厳しく言われているのではないかと思ったのですが、会長は今までのノルマなどは一切なく、楽しいと思う事をやり、失敗したらすぐに報告してほしいという方針だそうで私の想像とは全く違っていました。 お話を聞くたびに、何もかもが以外なことでした。

 

特定非営利活動法人 がん克服サポート研究会を設立したきっかけ

そして、一番驚いた事は、ステージ4の舌癌と宣告をされ、西洋医学以外の治療方法で完治されたのです。私はそのいきさつ・考え方・思考癖・生き方を取材し、とても聞いているだけで前向きになり、健康を勝ち取るにはタヒボ茶以外にも他にもたくさんの方法があり、お役に立てる方法はあるのだと思ったのです。

私は今までどんな時もお客様に向かってタヒボだけを飲んでいればと思っていました。そんな時に何も健康食品を使わずに健康を勝ち取った方の話を聞いて、健康を勝ち取る為の選択肢はたくさんあるのだと心の底から考えが変わり視野が広がりました。 このような経緯から、がんを克服した方の治癒までのいきさつ・考え方・思考癖・生き方を取材していく事になったのです。

 

非営利団体「がん克服サポート研究会」を設立した理由

2007年11月に特定非営利活動法人の認可を頂きました。「がん体験記」、「がん克服法」についての情報などを広める為の準備ができ、取材にご協力してくださいました方々とお約束したとおりに、実現する事が出来ました。

非営利団体の目的は、現在がんでお困りの方、病気と闘っている方で治る希望を得たいと思われる方に対して、取材に応じて頂いたがんを克服された方・病気を克服された方・がん及び病気に対しての心のサポートを行っている従事者から見た病気との向き合い方などの情報発信に関する事業を行い、がん撲滅・健康を勝ち取る事の推進に寄与することを目的としています。

そして、目的を達成するため、特定非営利活動に係る事業として、次の事業を行うことにしました。

1、がんを克服された方・病気を克服された方・がん及び病気に対しての心のサポートを行っている従事者から見た病気との向き合い方に関することを取材した内容の CD・ DVD を作成し、販売及び配布。

2、がん・病気の方、家族の方、サポーターに役に立つ書籍・雑誌の作成及び販売。

3、がん克服者・健康を勝ち取ったの方から学んだ代替療法(食事療法・気功・手当て療法など)及びがんの治療に役に立つ最先端の治療などに関する講演活動及び情報提供。

4、がん・病気の方と関わる従事者・家族・カウンセラーなどへの向き合い方、心構え、前向きになる心のサポートなど心のケアーとなる講演活動及び情報提供。

NPO法人がん克服サポート研究会の設立を機にさらにお客様の話を注意深く聞くようになりました。

 

タヒボ茶のみの取り扱いから商品数が増えっていた理由

健康を勝ち取っている方ほど色んな事を実践されているのです。タヒボ茶だけを勧めている時は、あまり関心がなかったのですが、今では徹底的に調べるようになり、タヒボご愛飲者がお勧めする食事法、食材、健康器具、枇杷の葉、温灸、書籍、水、薬草など全て揃えてきました。ご要望に応えて、健康に役に立てるという考えも備わりました。

私は、全国どこにでも健康を勝ち取った方を取材しています。どんな方法があるのか勉強のためです。 その内容もニュースレターなどでしか公開はしていません。 人から情報を聞きたい、引き出したい、仲良くなりたい、健康を勝ち取ってもらいたいという気持ちからNLP心理学、交流分析、アサーティブ、認知行動療法などの心理学も勉強するようになりました。

玉川温泉、ロウソク温泉に行ったときには、となりに苦しそうな方がいらっしゃって何も出来なかった事もありました。その為に、隣に寄り添ってレイキ(手当て法)などをしてあげて、何かお役に立てれたらと思い取得しました。

それからは、出会い・情報を大切にした積み重ねで色んな方にお会いする事が出来ました。 あるきっかけで自家菜園1350坪を自然栽培農法と農薬なし・化学肥料なしの農法などで年間100種類以上の野菜を育てたり、その野菜を運営する自家菜園レストラン2店舗で旬の野菜が楽しめるようにレストラン事業も1年間したこともありました。

今では、450坪の自家菜園を週末のみで60種類以上はスタッフと野菜作りをしています。今ではロハスの事も意識し、地ビールとして役目を終えた麦芽などを箕面ビールさんから分けて頂き、野菜作りなどを行っています。

 

情報を伝えるだけでは満足しない。専門性をさらに増すために

2016年に腹水や胸水がたまっている二人の癌の方より続けてご相談がありました。男性と女性で、二人ともご紹介です。 女性は、6月中旬の時点で腹膜播種(ふくまくはしゅ)で腹水がたまっている状態でした。治療は西洋医学の治療は何もせず、石黒式温熱をされていました。

男性は、7月の時点で胆管がんとすい臓癌で食欲もあり、水分もとれる状態でしたが、腹水か胸水がたまっていると医者に言われていた状態でした。点滴の抗がん剤治療を行っていました。 二人の方に何が良いかと聞かれたので、科学的根拠のある健康茶をお勧めしました。私も腹水・胸水が抜ける方法を調べてみました。

カッピングも体中にする事により、血液の流れがよくなり、良いのではと思ったので、聞いてみると、腹水や胸水がたまっている方がすると、肌がつっぱってとても痛いそうです。 漢方薬局に聞いてみると、どうしても血液検査のデーターがないと教えてくれないし、この状況で改善できるのかなど何か方法はないのかと調べているうちに、何か胸騒ぎがするので、男性の方に電話をしてみましたがつながりません。

電話がかかってこないので、数日後に紹介者に電話をしてみると、電話した日ぐらいに亡くなったとの事でした。 ある日、女性の方も気になったので紹介してくださった方に電話すると、その日に亡くなったそうなんです。

無力感におちいり、ふと自律神経免疫療法をされていた故福田稔先生の事を思い出しました。福田先生が治療をすると、急に患者さんの体温があがり、腹水が30分後になくなったという話を思い出しました。福田先生の体から気が出ていると聞いたことがありました。

そこで3年前にお問い合わせを頂き知ったぽかぽか村の樋渡 さとし先生の事をふと思い出しました。樋渡先生はとても懐が大きく、とても情熱的でとても良い方で、気の達人だろうという認識でいたのですが、私自身の問題で取材をする事が出来ませんでした。

なぜかふっと頭に出てきて、電話で腹水・胸水がたまっている方も、良くなることがあるのか?を聞いてました。腹水がぬける事は難しいかもしれないが、と言われたのですが、樋渡先生とお話をさせて頂いて、どうしても会ってどんな事をしているのかを知りたいと思いました。

翌週からマスターコース(家庭内療法家育成)があるからとお聞きしたので、参加させてもらいました。 初日からびっくりする事の連続です。「人を治したいと思うな!」「病気の方に施術しても疲れることはない!」「空の状態で関われば、相手に伝わり、相手の悩み・痛みが楽になる!」「体の中の魂が光り輝いていてその上にある心に迷いやくすみがあり、体にあらわれるのが病気で、その心を変えれば体も変わる!」「瞑想で神我の悟りを得れば、気がでる!」「すぐにでも治療家になれる!」などです。

すべて人に依存しない方法です。自分の取り組み次第でできる方法を伝授してくれるのです。 私も自分の鍛錬及び勉強をして、関わった方に少しでもお役に立てるようになりたいと思いました。このような経緯をふまえて2016年9月に訪問看護事業をする事を決意しました。

 

訪問看護事業では、看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士などの資格を持った専門家と一緒に仕事をすることで、全員の良い所をいかしあい、少しでも在宅医療及び目の前の悩みをかかえている方に貢献ができたらという思いがあります。

人を診る目を養い、何をどうすればその方は体及び心が楽になるのか?これからは人にふれながら実践から知識をえて、スタッフ一同、かけがえのない存在になれるよう精進したいと思います。

 

「どんな事でも実践する事により、誰にでも道は開ける!一生挑戦!」精神で行動にも示していきたいと思っています。

challenge

※写真の額は社内の壁に掲げてある「一生挑戦」です。

是非とも私達と情報を分かち合い、一緒に「良かった!」と喜べたらと思います。

 

2017年3月27日 坂井 正典