『頑張りましょう。』といってくれた一言

今回、話しの中で出てくる岸本さんは、大阪の講演会に来てくださった方で当社が発行するニュースレターを読まれている皆様はご存知の方です。あの娘さんの泣いていた姿は、とても私の心の中に残っていました。岸本さんのお母様の『体験談が届きました。』という報告、本当に嬉しく、よかったと思いました。

お話をしているお客様から『次のニュースレターを楽しみにしているよ!』という声を聞くと私も嬉しくなります。スタッフが、東京講演会で始めてお会いした愛飲者の方に「『またお会いできるように頑張る!』といってくれたよ」という報告。本当に嬉しい出来事が、毎日のようにたくさんあります。

しかし、愛飲者全てではないのです。
私は、今月すごく悲しい事がありました。
思い返してみると、私が取った電話から始まりました。タヒボについてのお問合せでした。

電話でお話をしている方は妹さんで、とてもお兄様思いの方でした。タヒボの話をして、お兄様が飲むこととなりました。その時、よくもって2週間とお医者さんに宣告されており、手のほどこしようがなかったようです。「本当に奇跡!!」といって喜んで下さった出来事がありました。それからは、お兄様もタヒボがなくなると「早く!」と、とても気に入って下さっておりました。

他の健康食品も飲んでいたようですが、徐々に減らしていき、タヒボを増やして飲んでいくと言ってくれました。
いつも妹さんから電話があるのですが、なぜかとても気になったので電話したら、急変して亡くなったとのことでした。私は、何を言っていいかわからず呆然としました。妹さんは、『タヒボをもう少し早く知っておけばよかった。

あれから今まで長生きできたのは坂井さんのおかげです』といって逆に励ましてくださいました。私はその言葉を聞き涙が止まりませんでした。私は、こんな状況でとても前向きな妹さんに何も言葉が出てきませんでした。妹さんが私に言って下さった言葉、このやりとりをスタッフが聞いており、『頑張りましょう。』といってくれた一言。

本当に心に残る言葉というのは、その言葉の中に思いやりがこもっていると感じるからですよね。これは内面からあふれ出てくるものですから、内面に本当のやさしさが無ければ相手の心に残る言葉は出てこないですよね。私ももっと思いやりのあるいい男になりたいと思いました。(そしたらもてますよね。)

私は田中さんとの出来事に運命を感じています。この悔しさをばねにもっとタヒボを広め、毎日嬉しい出来事で一杯のきせんコミュニケーションズであるために、今まで以上に努力していくと心に誓いました。

中国での出会い

私の高校時代の友人が上海中医葯大学に留学したのを機に、私も中国に行く事にしました。中国は初めてでしたのでとても楽しみでした。
中国で、友人に中国人の徐さん、丘さんを紹介していただき、一緒に食事へいきました。二人はとても日本語が上手でいろいろな事を聞くことが出来ました。私は、日本語を上手に話せる二人の収入が何故か気になり尋ねてみると、1日8時間労働の週休2日、日本円で月3万5000円でした。日本では考えられない額なので私は凄く驚きました。また、食事も一人400円ほどでとても美味しい料理を食べることが出来ました。タクシーも初乗り140円からと物価が全くと言っていいほど日本とは違いました。お金の大切さを身にしみて感じました。

他に、中国では漢方などが流行っているのかを聞いてみると、あまり流行っているわけではないようでした。誰もが漢方を飲んでいるのではなく、日本と同じように一部の方達が飲んでいようです。気功もあまり認知度はなく、信頼性に掛けるようです。

徐さん、丘さんには、買い物にもついて来てもらいました。店員さんとの交渉などとても親切に買い物の仕方を教えてくれました。その中で驚いたことは、商品のチェックです。電化製品などは正常に使えるかを確認し、果物などは一個一個厳重にチェックするそうです。日本では、電化製品の新品は正常に使えて当たり前ですが、中国では全てチェックするのが当たり前のようです。知らなければどんな物を買ってしまっていたかわかりません。
お二人には本当に色々な事を教わり、助けてもらいました。

もう一つのエピソードは、中国といえば桂林というぐらい風景の有名な場所があると聞き、早速、徐さんに飛行機のチケット、ホテルの予約をお願いして桂林に行く事にしました。友人も中国に来てまだ間もなく、私と1日しか滞在日数が変わりません。中国語も日本で1年間勉強していましたが、現地の人が話す言葉までは理解できない状態でした。
徐さん、丘さんは、二人で『大丈夫?』ととても心配していましたが、私は日ごろから『何とかなる!』と考える性質なので『大丈夫!大丈夫!』と返事をしました。

そして出発の日、友人が学校の都合で遅刻してしまい飛行機には乗れませんでした。
友人もまだ空港に着かないし、私も除さんに頼りきっていたので慌てたのですが、まず、航空会社に日本語で話し、文字を書いて交渉を試みましたがやはり全く通じず、カウンター越しで中国ガイドを片手に片っ端から電話をし、日本語が通じる旅行会社を探して代わりに交渉してもらいました。運よく翌日チケットが取れ、晴れて出発できることとなりました。

桂林では、『りこう下り』といって4時間半かけての川下りが有名なので行きました。
またも出発5分前とぎりぎりに着き、何隻も船が止まっているのを見て慌てていたので、ガイドさんらしき人を見つけたのでチケットを見せて『ココ』と指差すと、中国人ガイドさんで日本語が話せる人だったのでなんとか船に乗ることが出来ました。川下りが終わり、そこから町へ1時間かけて戻り、2時間ほど町を探索し空港に行こうとしたのですが、帰り方がわからなくなりました。困っている時に偶然、先ほどのガイドさんと遭いびっくりしました。その方は寧さんというお名前で、ガイドの仕事上、日本語の1級試験を受けるとおっしゃっていました。「だから、日本語が上手なんだと」と思いました。
空港に行く方向が帰り道だと一緒についてきてくれました。「これも凄い縁だな」と感じました。一緒に写真を撮り、メール交換をして友達になりました。(今ではメル友です)

中国では、全く計画性がなかったわりには友達が4人(全員女性ですが)でき、中国の情報が聞けて、最後の最後で奇跡的な出会いがあり、非常にうれしい気分のまま旅が終わったなと感じました。
計画性があればもっといい旅だったかもしれません。でも、本屋で売っている最新の中国ガイドは現地の人からすると内容が古いと言われましたし、誰かが作った情報を信用して、頭で出来上がったイメージ(思い込み)で旅をするのもいいですが、常に探究心を持って、現地の人の話を聞きながらの方が勉強になるし、スリルのある旅が出来たと思いました。そして、人に聞く勇気、行動する勇気がなかったら楽しめなかったなと感じました。

私は、昔テレビで見たスポーツ選手の言葉をとても印象的に覚えています。『背中に砂時計があり、その砂時計はいつになったらなくなるかはわからないから、一日一日悔いの残らないように精一杯練習する!』という言葉です。

私は、この言葉を胸にこれからも何事にも挑戦できたらと思います。

5年ほど前にタヒボの話を聞きに行った友人と

私の高校時代の野球部の友達が最近とてもタヒボを広める事に協力してくれています。
7月19日の講演会も来てくれて、ビデオ撮影、お客様へのカレーの配布、後片付けなど私が頼んだわけでもなく、率先して色々と手伝いをしてくれたので凄くうれしくてたまりませんでした。

講演会後は、いろいろな方を紹介してくれるようになりました。
実は5年ほど前にも私がタヒボを始めるきっかけとなった講演会に彼は一緒に行っているのです。
その時は凄い言ってくれたものの特に何にもなかったのですが、今では沢山の方を紹介してくれるので私が何故この仕事をやっているかという事を理解してもらえた事が凄くうれしかったです。
19日講演会後の彼は、親戚の美容室にわざわざ行ってタヒボの紹介をしてくれたり、仕事の事で「このような広告の仕方がいい」など色々アドバイスもしてくれます。

私は今回の事で彼を見習う事がたくさんありました。振り返ると彼は、講演会の前にも「資料を持ってきてくれ」と私は頼まれていていたのに、あまり急ぐ様子でもなかったので7月19日の講演会が近い事もあり、その時でいいと勝手に思っていました。
タヒボの資料が欲しいといっていたのは、今回紹介してくれた方の為だという事が後にわかり非常に後悔しました。
私が彼に頼まれてすぐに持って行っていれば、もっとはやくタヒボにめぐり合えていたのです。例えそれが数日でもです。
私はタヒボを飲む方は「縁」なのだ。「縁」という言葉で全て片付けていたところがありました。「縁」とはとても大切なことですが、「縁」があればまた言ってきていただけるだろうと受身になっていたのです。

今回思ったことは、どんな人がどんな言い方をしようが真剣に受け止め、迅速な行動をとらなければいけない事が後々の後悔につながるのだなと思いました。

受け身な体制だけでなく、粘り強く、後悔のないように伝導していくことも勉強になりました。だって彼が粘って、親戚の友人に伝えることが出来たのですから私にだって出来ないことはないと思いました。

『がん患者学』で2ヶ月間連載になった

最近私は、以前さわやか元気の特集で2002年10月、11月『がん患者学』で2ヶ月間連載になった村上さんにお電話しました。村上さんは、最初は声帯を全摘出といわれたのを半摘で済み、声がなくならずに済んだ方です。術後も2ヶ月間の入院生活は必要といわれていたのですが、1ヶ月で退院したのです。
再発は、全摘出の手術より半摘の手術の方がリスクが高いそうで、2年以内に再発の可能性が非常に高いと言われています。
手術は、2001年6月20日でした。あれからもう2年が経過しますが再発がないのです。
私は、肩の荷がおりた気がして、すごくほっとしました。

お盆休みには、長野県の五竜の山にご夫婦で登りにいくとおっしゃっていたのでとても元気で良かったと安心しました。

村上さんといろいろ話していると友人が肺がんになったらしく、肺がんを治すことで有名な豊中の刀根山病院ですごく推奨している漢方があるということで村上さんが一緒についていったところ、タヒボ茶だったのです。村上さんも『タヒボなんだー私も飲んでるとすごく世間はせまいなぁ?とおっしゃっていました。

私は、それを聞いて世間でも着実にタヒボをどんどん使われていると思うと嬉しくなりました。

他にも村上さんの娘さんのお友達のお母さんが体調が悪いという事で村上さんから私はご相談を受けました。私も本人の病状を詳しく知りたいという事で会社の方に直接、お電話が欲しいと伝えました。後日お電話のほう頂きました。今回7月19日の講演会にもお誘いする事が出来てとても嬉しく思っております。タヒボと整水器をご購入していただきました。
その後、村上さんからは、『岸本さんが家にお礼に来たよっ』といってくれたのですごく安心し嬉しく思いました。
私たちも、一人一人のつながりを大切にして小さな喜びを一つ一つ増やしていけたらなぁーと思いました。

話は飛ぶのですが7月19日の講演会でカレーを作ってくれた菅原さんは、きせんワールド坂井社長の知り合いで、私も3?4年ぐらい前から知っていました。78歳に見えない元気さで昔からカレーに非常にこだわりを持っていて、店舗に行けばよくご馳走になっていました。

今でも78歳、76歳の姉妹のおばちゃんがこだわりを持ち続けて販売しているカレーを、少しでもの宣伝が出来たらなーと思い、急遽お昼ご飯にカレーを用意する事になりました。
当日は、80人分を作るのに必死です。菅原さん達もすごく慣れた手つきで作業をし、大きな釜も持ち上げている体力には、ほんとびっくりしました。なんとか80人分が出来上がり、昼食にはおかわりがたくさんあり、おいしかったといっていただき非常に好評だったのでよかったなーと思いました。

私は、菅原さん姉妹、木村さんを見ていて思うことは、元気だという事です。元気な二人を見ているとすごく前向きなのです。私は、元気イコール前向きだと思いました。元気になる事は、まずは前向きに物事を捉えなければいけないんじゃないかなーと思います。
元気がなくても何でも前向きに考える事からはじめてみましょう。
必ず前向きに変わるとわくわくしてきて元気になってくると思います。

決してどんな事があってもあきらめない

今月の一言は、「決してどんな事があってもあきらめない」と言うことです。

どのような環境においても、しがらみ、規制、辛さ、いろいろなものが障害になり、なかなか思うようにいかないことがあると思います。
そういう場合でも、何があっても「決してあきらめない」という姿勢が重要だと思います。
私は辛いとき、目標の原点を考えます。原点を想像することで自然と力が湧いてくるのです。私が想像する原点とは、皆様の「良くなった。ありがとう」の言葉がたえない会社の姿です。
皆様も、「これ以上できない」と思い込まずに「こうなりたい」と思うことをすべて想像してみて下さい。希望の光が見えてきて、楽しくなりませんか?そうする事で楽にイメージができて、ワクワクしてくると思います。
このワクワクによって、どんな障害に直面しても、これは希望の光のために乗り越えなければいけない階段だと思えるようになります。是非とも試してみて下さい。

今月から、『タヒボ体験談―あの人は、今』も連載がはじまります。毎月、お客様とのお話の中で気がついたことがありました。なるべく様々な体験談を掲載していこうと思いますので、毎月一緒になって経過に希望をもって見て下さい。

私達はご愛飲者の皆様に、力が湧いてくる情報を出せるように頑張っていきたいと思います