治らないといわれた足で歩けるようになった!??

【前号までのあらすじ】
子馬の世話をしたい一心で必死に身体を動かそうとするナターシャ。
母親はそんなナターシャをこの子馬に乗せてあげようと考えました。

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関節の曲がらないナターシャにとって馬に乗ることは至難の業です。
普通、馬に乗るときには膝を曲げなければならないし、
足で馬のおなかを蹴ったりすることも必要なのですが、
ナターシャにはそれが出来ないのですから。

それでもあえてご両親はナターシャを馬に乗せたのです。
ナターシャは自由にならない体で馬に乗ることの怖さを
感じてはいるようでしたが大好きな子馬に乗る
うれしさのほうが大きかったようです。

ナターシャは曲がらない自分の足の関節を伸ばしたまま、
子馬の首に腕を巻きつけ、振り落とされないように
必死でしがみつきました。
馬に乗って学校まで2時間の道のりを、
母親は横についてしっかりと見守っていたのでした。

そんな日々を続けているうちに、ナターシャの足に変化が現れたのです。
医者からも見離され、もう治ることはないと言われていた
ナターシャの足がほんの少しだけ曲がるようになってきたのです!

(ナターシャの足が曲がった!さらに・・・?
・・・続きは次号で!)

信じなかった方が信じると言ってくれた

私は、このお茶の知名度はないし高いし不安なのですがとお電話を頂きました。
私はすぐに信用してくださいとはいいませんでした。
それは私も最初からは信じれなかったからです。

私はこのお茶は、健康食品の中では特許も取得しているし、学会でも一番発表しているとこのことについて5分ぐらい話しました。

するとその方は、担当の医者をかなり信頼しているので相談しようと思っていますがかまわないですかときいてこられました。

私はいいですよ。と答えました。
それは信用しているお医者さんに黙って飲む事によって、その方が罪悪感に悩まされるのではと思ったからです。

だが私は補足として、西洋医学だけを信じる先生、本当に患者さんのことを考えて西洋医学ぷらす東洋医学の治療をする先生とわかれますよとだけお伝えしました。
それと抗がん剤とお茶を併用する事によっての副作用を気にされていました。
だがこのお茶は18年間薬との併用で副作用が報告されていないとお伝えすると『そうなの』と言ってくださりました。

私は、この6年間お茶だけでいろんな方と接してきて多数の体験談があることなどをお話しました。
それと最後には気持ちが大事なので負けない気持ちを持ってくださいと言いました。私は病気に対する負けないという気持ちもとても大事な事を痛感していて、気持ちだけでがんを治した方を取材して、それもプレゼントすることをお約束しました。

それからまた体験談を話していくと、『このお茶を信じます』とおっしゃってくれたのです。よかった。信じてくれてとほっとしました。

がんは一刻も争うからです。
出荷の時刻はすぎていました。
受注の用意を済ませ、出来るだけ明日のつくようにしたかったため、宅急便の会社まで車で走り、渡しにいきお願いしました。

夜の18時半、荷物を渡したあとはなんともいえない充実感でした。

電話でしか話したことがない方とお会いして

昨日はある会の忘年会が焼肉屋でありましたので行って来ました。
全員で9名でした。
そこに私がまだあったことがなく、会のメンバーの紹介でタヒボの事で
電話だけをしていた方仮名滝田さんがいらっしゃったのです。

そこではあまり話が出来ませんでしたが、2次会に行った時に私は
カラオケで一番を指名されました。

何を歌ったかといいますと平井堅の『瞳をとじて』です。
おもいっきりバラードの曲です。
もう私は歌を歌うと自分の世界に入り、とてもさびの部分では力が入り、
声が非常に大きくなるのです。
もううたい終わったあとは、自己満足にひたっていたら周りから笑いと
拍手で盛り上がっていたのです。

それから滝田さんの出番が来た時には、私のために歌うといってくれたのです。それは暗い感じの演歌で恋愛の事です。私は、皆さんが先輩なので
焼肉屋では『結婚』ということはどのようなことですか?
と質問をしていました。

それでなのかと思いながら聞いていました。
それから2曲、3曲と全部私にと歌ってくれました。

歌ってくれたあとには、私のとなりの席に滝田さんが来てくださって『もう坂井さんの性格はわかった。それと人生楽しまなあかんで』とおっしゃったのです。
私は、そんな単純なんかな。そんな暗い顔をしているかなと思いました。
それから私のタヒボを始めたきっかけ、家の事情、恋愛にたいする考え方を話しました。
滝田さんは、『自分は自分やしもっと気持ちを大きくもたなあかん。わたしはいつしんでもいいぐらい毎日楽しいね。』とおっしゃっていました。
私は、はっと思いました。俺も何があろうとももっと元気にたのしまなあかんと思いました。滝田さんは私より12歳上です。それなのに真剣に聞いてくれて非常に気持ちよかったです。

それから2次会も終わり、解散でみんなで別れた後、帰っていたら電話が鳴りました。誰かと思いましたら滝田さんだったのです。
滝田さんがこれからもう一軒飲みにいこうとおっしゃってくれたのです。

私は今日初めてお会いして私だけ誘ってくれたことが非常にうれしくて一緒に
行きました。

治らないといわれた足で歩けるようになった!??

【前号までのあらすじ】
病気で歩くことが出来ないナターシャの閉ざされた心。
ところがある日子馬がうちにやってきて・・・

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子馬と一緒の日々を過ごすうちにナターシャは
この大好きな子馬の世話をもっとしてあげたい、
もっとかわいがってあげたいと
思うようになっていきました。

その思いは彼女の体を動かそうと必死でした。
子馬の世話をしたい、体を動かしたい、でも体は動かない。
動かない体を動かそうとする彼女の姿はとてもけなげでした。
そんな姿を見たご両親はそこにかすかな希望を見出したのです。
(ひょっとしたらこの子は変わるかもしれない・・・)

ご両親にある考えが浮かびました。
ナターシャは歩くことが出来なかったので
学校に通うのにも車イスを使っていたのですが、
この車イスのかわりに、彼女を子馬に乗せようと思い立ったのです。

(身体の不自由なナターシャは子馬に乗れるのか?・・・
・・・続きは次号で!)

治らないといわれた足で歩けるようになった!??

オーストラリアにある少女が住んでいました。
名前を仮にナターシャとします。
ナターシャは生まれてすぐに遺伝性の病気で体を悪くしてしまい、
足の関節が動かなくなってしまったのです。
ですから歩くことが出来ません。
母親は彼女を医者に連れて行き、リハビリに通わせ、
いろんな治療方法を試みてきたのですがどれも効果がなく、
彼女の足の状態にはまったく改善がみられないのでした。
ナターシャはだんだんと希望を失い、うつ状態になっていったのです。
表情はいつも暗く、時に激しく親に当たるようになってしまいました。

ナターシャのご両親は本当につらく思い、困り果てていました。
そんなある日、ふとしたことで子馬を購入する話が持ち上がり、
ご両親はナターシャのためにこの子馬を飼うことになったのです。
それは本当に可愛らしい子馬で、ナターシャもたいそう気に入ったのです。
彼女は子馬をとてもかわいがりました。子馬の無邪気さと可愛らしさは
彼女の心を少しずつ解きほぐしていくかのようでした。
暗く沈んでいた彼女の表情も少しずつ明るくなっていきました。
ナターシャはこの子馬のことが大好きだったのです。

(少しずつ心を開いていくナターシャ。そんな彼女の病状に
かすかな変化が!・・・続きは次号で!)