訳あり物件・リースバック物件のリフォーム NO.2

2024年6月から訳あり物件とリースバック物件での退去された後の物件のリフォームを、初めて依頼するリフォーム屋さんにお願いしていました。

相見積もりなどをして2件で安くしてくれる所に任せた結果、5回ほど出来上がった報告があって現地確認を行い、何度もやり直し修繕で納期は10カ月かかり、ようやくリフォームが完成しました。

屋根の補修に関しては、金額に含まれていたのですが、業者が行いうまく出来ず追加金額を払い、腐食部分の交換代。それと押し入れの撤去でそこの床を補強してもらえる代金に含まれていると思いきや、押し入れの床が踏んだらベコベコで、それも追加工事代金を請求されたので、結局はもとの見積もりより20万円以上高くなりました。

床の傾きもなおす項目に入れていたのですがなおっておらず許容範囲との見解。文字で指示書を出したのですが、それでもこのような問題が出てきたのでもう少し細かく指示を文字に残さないといけないと思いました。

リフォームはお願いしてみないとわからないですし、何度も仕事を依頼している所でも急に値段を上げてくる所もありますし、もう少し考え方も含めて長く付き合えるところを探さないといけないと思った出来事でした。

「心が救われる治療!」無償での医療活動を行うジャパンハートとは NO.2

タヒボジャパン株式会社の創立40周年記念講演会で飯田彰教授と国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」吉岡秀人医師の話を聞いてきました。吉岡先生の話を聞くのは2回目です。

時間さえあれば無限の可能性がある。
自分の時間、寿命の一部を人に役に立つ仕事に変えていった。かえて集まったものが人生の質であり、自分の命の時間を子供達を救うという事に変えていこうと吉岡先生は思ったそうです。

30年前にミャンマーに行った時には、朝5時に起き、深夜12時までの診察。それが毎日続き、半年後には手術ができるようになった。それは部屋に明かりが入るように窓を多くして、懐中電灯も使い光をあてていたとのこと。血管麻酔、局所麻酔は1時間しかきかない。麻酔がきれるとおさえつけて手術をすることもある。

そこから30年でがんの治療までできるようになったのです。
医療とは患者の生命の質を上げていく事。
ミャンマーでは100人いれば10人ほど、途上国では20人ぐらいはよくなる。日本では80%以上はよくなる。
2022年には年間113人の小児がん治療。生存率は10%から50%になったのです。

カンボジアでに2拠点目として2025年に200床規模の総合小児医療センターができるとの事でした。全ての子どもたちに平等な医療をという理念のもと、無償治療。

こんな未来は想像できなかった。

前を向き続け、心の声に従い、自分の生きている時間を子供の為に役に立とうとした結果であったという内容だったのです。

今でも1年間の半分は手術を行っているとの事でした。2018年11月の時にあったジャパンハートの看護師の方ともお会いする事ができ、今でも吉岡先生を支えていていらっしゃったので信念のある方達が集まり、すごいと思いました。そしてどんどん若い方達が育ちたくましくなっているとも教えてくださりました。

心のどこかに疑いもなく、本当に自信があって本津に良いものであれば世界に出て挑戦すればよい。日本では1億人。世界では80億人いる。是非ともジャパンハートさんの取り組みを知ってもらいたいと思いました。


良質のウールを草木染タヒボで編み上げた服

米農家に聞く

17年前に農薬・化学肥料・除草剤を使わずに育てている農家さんの田植えに参加した事がありました。地球のこと、大地のこと、食の安全のこと大切にしたいという生産者の思いがあり、自家製米ぬか発酵肥料・もみ殻などを肥料として使っているのです。有用な微生物群の力を活かしながら、土壌分析も行い研究されているのです。

稲が主体性を持って、本来持つ力を発揮して育つ生理メカニズムや、田んぼに集まる草や生きものたちの営みの生態系を、総合的に一つのいのちとしてとらえて、その営みごと育みながら稲を育てていく、という考えなのです。

私達も自社商品のリゾットの原料に使わさせてもらったり、仕入れて販売をさせて頂いていました。だが、今ではお米の不作やお米を作ってほしいという依頼なども多数あり、卸をするお米がないという状況です。


真ん中から左と右で玉ねぎの品種がちがうのです

また、違う農家さんで近隣でお米を作っている農家さんと話す機会がありました。すると、その方も農薬不使用のお米を作っていて、教えてくれる方が3月以降に来てもらうという事でしたので、すごいタイミングだと思い、是非とも誘ってほしいとお願いしました。農法としては決まった肥料を買わないといけないみたいだったのです。

この農家さんは学校などに安全なお米を確保したいという思いがあり、近隣の農家さんにもお米を分けてもらうはずだったが、一般の方からの問い合わせが増えて分けれるお米がなくなったとの事態になったそうなのです。

同じ無農薬のお米を作るにしてもそれぞれの思いがあり、その考えにいたる経緯が違うので、問題に対する考え方も違います。お二人の話を聞けてとっても勉強になりました。

「幸せになる勇気」本より

幸せになる勇気という本を読んでいました。アドラー心理学の教えをもとに書いてある本で、印象に残る部分のみLINE(ライン)で撮影して文字お越しをして、記録していました。ちょうどこの本を読んでいる時に社内で参考になるような事もあったのでとってもタイミングが良かったのです。

ここから本から抜粋した部分・・・・・・・・・・

人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きているのだから。たとえば、「家庭環境が悪かったから、暗い性格になった」と語る人。これは人生の嘘である。ほんとうは「他者と関わることで、傷つきたくない」という目的が先にあり、その目的をかなえるために、誰とも関わらない「暗い性格」を選択する。そして自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出している。つまり、われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

これまでの人生にどんなことがあったとしても、これからの人生をどう生きるかについて、なんら関係がない。自分の人生を決定するのは、「いま、ここ」を生きるあなたなのだ。⋯

アドラーの思想は「人間は、いつでも自己を決定できる存在である」という、人間の尊厳と、人間が持つ可能性への強い信頼に基づいています。

自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し
「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、「あたらしい自分」として生まれ変わるのでは、いくら現状に不満があるとはいえ、底の見えない闇に身を投げることができるのか。⋯⋯これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも「このままでいいんだ」と思いたい。そして現状を肯定するための、「このままでいい」材料を探しながら生きることになるのです。

「悪いあの人」の話を聞き、「かわいそうなわたし」の話を聞き、わたしが「それはつらかったね」とか「あなたはなにも悪くないよ」と同調すれば、ひとときの癒やしは得られるでしょう。カウンセリングを受けてよかった、この人に相談してよかった、という満足感もあるかもしれません。でも、それで明日からの毎日がどう変わるのか? また傷ついたら癒やしを求めたくなるので けっきょくそれは「依存」ではないのか?⋯⋯⋯だからこそアドラー心理学では「これからどうするか」を語り合うのです。
われわれ人間は、未熟な状態から成長していかなければならない、という原点に立ち返るのです。考えるべきは「これからどうするか」なのです。

あなたはいま、わたしの目の前にいるのです。「目の前にいるあなた」を知れば十分ですし、原理的にわたしは「過去のあなた」など知りようがありません。あなたが語る過去は、「いまのあなた」によって巧妙に編纂された物語にすぎない。

最終的な目標は、合意の形成です。伝えるだけでは意味がなく、伝えた内容が理解され、一定の合意を取りつけたとき、はじめてコミュニケーションは意味を持つ。

ルールを破れば厳しく闘せられ、ルールに従えばほめられる。そして承認される。つまり人々は、リーダーの人格や思想信条を支持しているのではなく、ただ「ほめられること」や「叱られないこと」を目的として、従っているのです。
アドラーは賞罰を禁じる。叱ってはいけない、ほめてもいけない、と断じる

アドラー心理学の提唱する「機の関係」を貫くのは、協力原理です。誰とも競争することなく、勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。

人間はひとりでは生きていけないのです。孤独に耐えられないとか、話し相手がほしいとかいう以前に、生存のレベルで生きていけない。そして他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。疑っている相手とは、協力することができない。その人が好きだから協力するのではなく、香が応でも協力せざるをえない関係。そう考えてもらうといいでしょう。

運動競技のチームメイトなどは、典型的な分業の関係と言えるでしょう。試合に勝つためには、個人的な好悪を超えて協力せざるをえない。嫌いだから無視をするとか、仲が悪いから欠場するとか、そういった選択肢はありえない。試合が始まってしまえば、「好き」も「嫌い」も忘れてしまう。チームメイトのことを「友人」としてではなく、「機能」のひとつとして判断する。そして自分自身も、機能のひとつとして

「人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割を、どのように果たすかによって決められる」と。つまり、人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだと。

企業の採用にあたっても、能力の高さが判断基準になる。これは間違いありません。しかし、分業をはじめてからの人物評価、また関係のあり方については、能力だけで判断されるものではない。むしろ「この人と一緒に働きたいか?」が大切になってくる。そうでないと、互いに助け合うことはむずかしくなりますからね。そうした「この人と一緒に働きたいか?」「この人が困ったとき、助けたいか?」を決める最大の要因は、その人の誠実さであり、仕事に取り組む態度なのです。

他者を信じること。これはなにかを鵜呑みにする、受動的な行為ではありません。ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけなのです。

「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「ふたりで成し遂げる課題」とは、そういうことです。

運命とは、自らの手でつくり上げるものなのです。われわれは運命の下僕になってはいけない。運命の主人であらねばならない。運命の人を求めるのではなく、運命といえるだけの関係を築き上げるのです。

ここまで本から抜粋した部分・・・・・・・・・・

居住支援とは NO.2

去年に引き続き、居住支援体制の設立準備検討会に出席しました。この会では、居住支援に関する事例として、吹田市での解決について聞く事が出来ました。

居住支援とは、住まいを確保するのが難しい方に対して、住まい探しのお手伝いや必要なサポートを提供する活動です。
低額所得者、被災者、高齢者(独居の方、もしくは家族の協力が得られない方)、障害者、母子家庭、父子家庭、生活保護受給者、外国人、身寄りのない方、保証人・緊急連絡先がない方などに住居を探すお手伝いを行ったり、見守り・安否サービスの情報提供や市町村の福祉担当や社会福祉協議会と連携して、居住できるように支援する事なのです。

事例の中で引っ越しのサポートは居住支援を行うサポーターが手伝ったり、ゴミ処理については市に申請することで処理を依頼できる制度を活用したり。また、フードサポート(食事の提供)や中古家電の調達といった生活支援も、制度を活用する事でできたそうなのです。

制度を活用する際に重要なのは、一人で悩まず、まずは誰かに相談することです。専門機関や支援団体に相談することで、自分では気づけなかった制度やサポートが利用できる可能性が広がります。情報を得ることが、問題解決の始まりとなります。

シェアハウスは他の市の事例ですが、居住の問題を解決するために、若者と高齢者が同じ家に住む「シェアハウス」の形を導入し、見守りの仕組みを作っているそうです。空き家問題が解決する一つのヒントになると思いました。

私達は箕面市で居住支援の取り組みとして、女性専用ではありますが、箕面市粟生間谷にあるアパートで5室ほどあり、1Kの部屋であれば居住支援できます。

このアパートは家賃が月額3万円前後で、インターネットは使い放題、テレビも無料で視聴でき、一部の部屋では電子レンジや冷蔵庫も利用可能です。

グループで訪問看護、訪問介護、ナーシングホーム、農業の就労支援、賃貸物件の情報などもサポートをできる体制がありますので、今後も積極的に居住支援の勉強を行いお役に立てれたら良いなと思いました。