米農家に聞く

17年前に農薬・化学肥料・除草剤を使わずに育てている農家さんの田植えに参加した事がありました。地球のこと、大地のこと、食の安全のこと大切にしたいという生産者の思いがあり、自家製米ぬか発酵肥料・もみ殻などを肥料として使っているのです。有用な微生物群の力を活かしながら、土壌分析も行い研究されているのです。

稲が主体性を持って、本来持つ力を発揮して育つ生理メカニズムや、田んぼに集まる草や生きものたちの営みの生態系を、総合的に一つのいのちとしてとらえて、その営みごと育みながら稲を育てていく、という考えなのです。

私達も自社商品のリゾットの原料に使わさせてもらったり、仕入れて販売をさせて頂いていました。だが、今ではお米の不作やお米を作ってほしいという依頼なども多数あり、卸をするお米がないという状況です。


真ん中から左と右で玉ねぎの品種がちがうのです

また、違う農家さんで近隣でお米を作っている農家さんと話す機会がありました。すると、その方も農薬不使用のお米を作っていて、教えてくれる方が3月以降に来てもらうという事でしたので、すごいタイミングだと思い、是非とも誘ってほしいとお願いしました。農法としては決まった肥料を買わないといけないみたいだったのです。

この農家さんは学校などに安全なお米を確保したいという思いがあり、近隣の農家さんにもお米を分けてもらうはずだったが、一般の方からの問い合わせが増えて分けれるお米がなくなったとの事態になったそうなのです。

同じ無農薬のお米を作るにしてもそれぞれの思いがあり、その考えにいたる経緯が違うので、問題に対する考え方も違います。お二人の話を聞けてとっても勉強になりました。

農薬・化学肥料・除草剤不使用の米作りに

箕面で10年以上畑をして開発による立ち退きから新天地の茨木市の畑で3年が経過しました。新規で農業委員会を通しての契約は3年の契約になり、その後5年契約になります。

畑の更新の為に大阪府みどり公社が間に入って書類などすべて茨木市農業委員会に2月の契約に間に合うように去年に送り、今年になっても何も手続の返事がないので、茨木市の農業委員会に連絡すると、夏ごろに草刈りの事、地域の住民と調和要件の事で報告がなかったので、更新手続きを進めてないと今年になって連絡をこちらからしてはじめて進んでいな理由がわかったのです。

夏ごろに問い合わせをした時には、その際には草刈りを行います。周りの住民に畑を辞めろと言われたけどうまくそれでも調和して行わないといけないのかという相談をして、報告する事は何ひとつなく、報告する約束もしていません。なのに茨木市の農業委員会の方は、報告がないので何も手続きを進めていませんとの事。

そこから農業委員会は地元の方に事情を聞きとり、ようやくOKを頂き、更新手続きが予定より5カ月先になったのです。

なので農業委員会の対応、地域の方との調和要件がありますので、農地を借りるという事は色んな声や特徴などがわかっていないとどうにもならない事もあるのです。

そんな中、やはり後継者がいない、高齢でうごけなくなるという事は地域で目にはしますが、すんなり農地を借りる事はいろんな近隣の目もあり容易にはすすまないのです。

そんな中、田んぼを500坪ぐらいでしょうか、借りる事が出来たのです。しかも水源は田んぼのうえに池があるので水も安心です。

今年は米も作ってみようと思っています。米ももちろん無農薬、除草剤・化学肥料不使用で挑戦してみます。農地は計2000坪ほどになりますが、農業を就労継続支援B型事業所と一緒に行い、仕事及び食でもサポートを行い、生活の質の向上に向けて動いていけたらと思っています。

「幸せになる勇気」本より

幸せになる勇気という本を読んでいました。アドラー心理学の教えをもとに書いてある本で、印象に残る部分のみLINE(ライン)で撮影して文字お越しをして、記録していました。ちょうどこの本を読んでいる時に社内で参考になるような事もあったのでとってもタイミングが良かったのです。

ここから本から抜粋した部分・・・・・・・・・・

人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きているのだから。たとえば、「家庭環境が悪かったから、暗い性格になった」と語る人。これは人生の嘘である。ほんとうは「他者と関わることで、傷つきたくない」という目的が先にあり、その目的をかなえるために、誰とも関わらない「暗い性格」を選択する。そして自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出している。つまり、われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

これまでの人生にどんなことがあったとしても、これからの人生をどう生きるかについて、なんら関係がない。自分の人生を決定するのは、「いま、ここ」を生きるあなたなのだ。⋯

アドラーの思想は「人間は、いつでも自己を決定できる存在である」という、人間の尊厳と、人間が持つ可能性への強い信頼に基づいています。

自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し
「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、「あたらしい自分」として生まれ変わるのでは、いくら現状に不満があるとはいえ、底の見えない闇に身を投げることができるのか。⋯⋯これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも「このままでいいんだ」と思いたい。そして現状を肯定するための、「このままでいい」材料を探しながら生きることになるのです。

「悪いあの人」の話を聞き、「かわいそうなわたし」の話を聞き、わたしが「それはつらかったね」とか「あなたはなにも悪くないよ」と同調すれば、ひとときの癒やしは得られるでしょう。カウンセリングを受けてよかった、この人に相談してよかった、という満足感もあるかもしれません。でも、それで明日からの毎日がどう変わるのか? また傷ついたら癒やしを求めたくなるので けっきょくそれは「依存」ではないのか?⋯⋯⋯だからこそアドラー心理学では「これからどうするか」を語り合うのです。
われわれ人間は、未熟な状態から成長していかなければならない、という原点に立ち返るのです。考えるべきは「これからどうするか」なのです。

あなたはいま、わたしの目の前にいるのです。「目の前にいるあなた」を知れば十分ですし、原理的にわたしは「過去のあなた」など知りようがありません。あなたが語る過去は、「いまのあなた」によって巧妙に編纂された物語にすぎない。

最終的な目標は、合意の形成です。伝えるだけでは意味がなく、伝えた内容が理解され、一定の合意を取りつけたとき、はじめてコミュニケーションは意味を持つ。

ルールを破れば厳しく闘せられ、ルールに従えばほめられる。そして承認される。つまり人々は、リーダーの人格や思想信条を支持しているのではなく、ただ「ほめられること」や「叱られないこと」を目的として、従っているのです。
アドラーは賞罰を禁じる。叱ってはいけない、ほめてもいけない、と断じる

アドラー心理学の提唱する「機の関係」を貫くのは、協力原理です。誰とも競争することなく、勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。

人間はひとりでは生きていけないのです。孤独に耐えられないとか、話し相手がほしいとかいう以前に、生存のレベルで生きていけない。そして他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。疑っている相手とは、協力することができない。その人が好きだから協力するのではなく、香が応でも協力せざるをえない関係。そう考えてもらうといいでしょう。

運動競技のチームメイトなどは、典型的な分業の関係と言えるでしょう。試合に勝つためには、個人的な好悪を超えて協力せざるをえない。嫌いだから無視をするとか、仲が悪いから欠場するとか、そういった選択肢はありえない。試合が始まってしまえば、「好き」も「嫌い」も忘れてしまう。チームメイトのことを「友人」としてではなく、「機能」のひとつとして判断する。そして自分自身も、機能のひとつとして

「人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割を、どのように果たすかによって決められる」と。つまり、人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだと。

企業の採用にあたっても、能力の高さが判断基準になる。これは間違いありません。しかし、分業をはじめてからの人物評価、また関係のあり方については、能力だけで判断されるものではない。むしろ「この人と一緒に働きたいか?」が大切になってくる。そうでないと、互いに助け合うことはむずかしくなりますからね。そうした「この人と一緒に働きたいか?」「この人が困ったとき、助けたいか?」を決める最大の要因は、その人の誠実さであり、仕事に取り組む態度なのです。

他者を信じること。これはなにかを鵜呑みにする、受動的な行為ではありません。ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけなのです。

「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「ふたりで成し遂げる課題」とは、そういうことです。

運命とは、自らの手でつくり上げるものなのです。われわれは運命の下僕になってはいけない。運命の主人であらねばならない。運命の人を求めるのではなく、運命といえるだけの関係を築き上げるのです。

ここまで本から抜粋した部分・・・・・・・・・・

息子と一緒に畑仕事

ムクナ豆は畑に置いておくと自然に乾燥されてさやの色が黒っぽくなってきたりします。乾燥している豆だけの収穫を息子に手伝ってもらいました。なかなか慣れたもので、1時間に二人で6カゴ収穫しました。

他にも玉ねぎの畝の間に防草シートを行います。防草シートをするのは雑草予防と玉ねぎの畝のマルチが風で飛ばないようにするためでもあります。その防草シート張りも手伝ってもらいました。本当に助かりました。

今週はムクナ豆の粉末パウダーを愛用してくれている方でパーキソン病の方がいました。その方に感想を聞いてみると、調子が良いという事で購入をして頂いています。

もともとムクナ豆はパーキソン病の方に非常に良い食品と聞いて作ったのがきっかけです。パーキンソン病とは、神経伝達物質であるドーパミンの生成量が減少し、脳からの指令が筋肉に十分に届かず、運動機能に障害が発生する病気です。

ドーパミンの生成量が減少する理由は、脳の中でドーパミンを作る細胞が減少することに関係があります。ドーパミンをそのまま摂取しても、脳内に届かないため、L-ドーパを代わりに摂取します。L-ドーパは脳に届き、脳でドーパミンに変換されてはたらきを示すそうなのです。

ムクナ豆はLドーパを豊富に含んでいることから、パーキンソン病などに有効であると考えられているそうです。ムクナ豆で去年から仕込んでもらっている味噌も出来上がり、試食用のムクナ豆味噌がもうじき届きます。楽しみであります。