「幸せになる勇気」本より

幸せになる勇気という本を読んでいました。アドラー心理学の教えをもとに書いてある本で、印象に残る部分のみLINE(ライン)で撮影して文字お越しをして、記録していました。ちょうどこの本を読んでいる時に社内で参考になるような事もあったのでとってもタイミングが良かったのです。

ここから本から抜粋した部分・・・・・・・・・・

人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きているのだから。たとえば、「家庭環境が悪かったから、暗い性格になった」と語る人。これは人生の嘘である。ほんとうは「他者と関わることで、傷つきたくない」という目的が先にあり、その目的をかなえるために、誰とも関わらない「暗い性格」を選択する。そして自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出している。つまり、われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

これまでの人生にどんなことがあったとしても、これからの人生をどう生きるかについて、なんら関係がない。自分の人生を決定するのは、「いま、ここ」を生きるあなたなのだ。⋯

アドラーの思想は「人間は、いつでも自己を決定できる存在である」という、人間の尊厳と、人間が持つ可能性への強い信頼に基づいています。

自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し
「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、「あたらしい自分」として生まれ変わるのでは、いくら現状に不満があるとはいえ、底の見えない闇に身を投げることができるのか。⋯⋯これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも「このままでいいんだ」と思いたい。そして現状を肯定するための、「このままでいい」材料を探しながら生きることになるのです。

「悪いあの人」の話を聞き、「かわいそうなわたし」の話を聞き、わたしが「それはつらかったね」とか「あなたはなにも悪くないよ」と同調すれば、ひとときの癒やしは得られるでしょう。カウンセリングを受けてよかった、この人に相談してよかった、という満足感もあるかもしれません。でも、それで明日からの毎日がどう変わるのか? また傷ついたら癒やしを求めたくなるので けっきょくそれは「依存」ではないのか?⋯⋯⋯だからこそアドラー心理学では「これからどうするか」を語り合うのです。
われわれ人間は、未熟な状態から成長していかなければならない、という原点に立ち返るのです。考えるべきは「これからどうするか」なのです。

あなたはいま、わたしの目の前にいるのです。「目の前にいるあなた」を知れば十分ですし、原理的にわたしは「過去のあなた」など知りようがありません。あなたが語る過去は、「いまのあなた」によって巧妙に編纂された物語にすぎない。

最終的な目標は、合意の形成です。伝えるだけでは意味がなく、伝えた内容が理解され、一定の合意を取りつけたとき、はじめてコミュニケーションは意味を持つ。

ルールを破れば厳しく闘せられ、ルールに従えばほめられる。そして承認される。つまり人々は、リーダーの人格や思想信条を支持しているのではなく、ただ「ほめられること」や「叱られないこと」を目的として、従っているのです。
アドラーは賞罰を禁じる。叱ってはいけない、ほめてもいけない、と断じる

アドラー心理学の提唱する「機の関係」を貫くのは、協力原理です。誰とも競争することなく、勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。

人間はひとりでは生きていけないのです。孤独に耐えられないとか、話し相手がほしいとかいう以前に、生存のレベルで生きていけない。そして他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。疑っている相手とは、協力することができない。その人が好きだから協力するのではなく、香が応でも協力せざるをえない関係。そう考えてもらうといいでしょう。

運動競技のチームメイトなどは、典型的な分業の関係と言えるでしょう。試合に勝つためには、個人的な好悪を超えて協力せざるをえない。嫌いだから無視をするとか、仲が悪いから欠場するとか、そういった選択肢はありえない。試合が始まってしまえば、「好き」も「嫌い」も忘れてしまう。チームメイトのことを「友人」としてではなく、「機能」のひとつとして判断する。そして自分自身も、機能のひとつとして

「人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割を、どのように果たすかによって決められる」と。つまり、人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだと。

企業の採用にあたっても、能力の高さが判断基準になる。これは間違いありません。しかし、分業をはじめてからの人物評価、また関係のあり方については、能力だけで判断されるものではない。むしろ「この人と一緒に働きたいか?」が大切になってくる。そうでないと、互いに助け合うことはむずかしくなりますからね。そうした「この人と一緒に働きたいか?」「この人が困ったとき、助けたいか?」を決める最大の要因は、その人の誠実さであり、仕事に取り組む態度なのです。

他者を信じること。これはなにかを鵜呑みにする、受動的な行為ではありません。ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけなのです。

「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「ふたりで成し遂げる課題」とは、そういうことです。

運命とは、自らの手でつくり上げるものなのです。われわれは運命の下僕になってはいけない。運命の主人であらねばならない。運命の人を求めるのではなく、運命といえるだけの関係を築き上げるのです。

ここまで本から抜粋した部分・・・・・・・・・・

息子と一緒に畑仕事

ムクナ豆は畑に置いておくと自然に乾燥されてさやの色が黒っぽくなってきたりします。乾燥している豆だけの収穫を息子に手伝ってもらいました。なかなか慣れたもので、1時間に二人で6カゴ収穫しました。

他にも玉ねぎの畝の間に防草シートを行います。防草シートをするのは雑草予防と玉ねぎの畝のマルチが風で飛ばないようにするためでもあります。その防草シート張りも手伝ってもらいました。本当に助かりました。

今週はムクナ豆の粉末パウダーを愛用してくれている方でパーキソン病の方がいました。その方に感想を聞いてみると、調子が良いという事で購入をして頂いています。

もともとムクナ豆はパーキソン病の方に非常に良い食品と聞いて作ったのがきっかけです。パーキンソン病とは、神経伝達物質であるドーパミンの生成量が減少し、脳からの指令が筋肉に十分に届かず、運動機能に障害が発生する病気です。

ドーパミンの生成量が減少する理由は、脳の中でドーパミンを作る細胞が減少することに関係があります。ドーパミンをそのまま摂取しても、脳内に届かないため、L-ドーパを代わりに摂取します。L-ドーパは脳に届き、脳でドーパミンに変換されてはたらきを示すそうなのです。

ムクナ豆はLドーパを豊富に含んでいることから、パーキンソン病などに有効であると考えられているそうです。ムクナ豆で去年から仕込んでもらっている味噌も出来上がり、試食用のムクナ豆味噌がもうじき届きます。楽しみであります。

居住支援とは NO.2

去年に引き続き、居住支援体制の設立準備検討会に出席しました。この会では、居住支援に関する事例として、吹田市での解決について聞く事が出来ました。

居住支援とは、住まいを確保するのが難しい方に対して、住まい探しのお手伝いや必要なサポートを提供する活動です。
低額所得者、被災者、高齢者(独居の方、もしくは家族の協力が得られない方)、障害者、母子家庭、父子家庭、生活保護受給者、外国人、身寄りのない方、保証人・緊急連絡先がない方などに住居を探すお手伝いを行ったり、見守り・安否サービスの情報提供や市町村の福祉担当や社会福祉協議会と連携して、居住できるように支援する事なのです。

事例の中で引っ越しのサポートは居住支援を行うサポーターが手伝ったり、ゴミ処理については市に申請することで処理を依頼できる制度を活用したり。また、フードサポート(食事の提供)や中古家電の調達といった生活支援も、制度を活用する事でできたそうなのです。

制度を活用する際に重要なのは、一人で悩まず、まずは誰かに相談することです。専門機関や支援団体に相談することで、自分では気づけなかった制度やサポートが利用できる可能性が広がります。情報を得ることが、問題解決の始まりとなります。

シェアハウスは他の市の事例ですが、居住の問題を解決するために、若者と高齢者が同じ家に住む「シェアハウス」の形を導入し、見守りの仕組みを作っているそうです。空き家問題が解決する一つのヒントになると思いました。

私達は箕面市で居住支援の取り組みとして、女性専用ではありますが、箕面市粟生間谷にあるアパートで5室ほどあり、1Kの部屋であれば居住支援できます。

このアパートは家賃が月額3万円前後で、インターネットは使い放題、テレビも無料で視聴でき、一部の部屋では電子レンジや冷蔵庫も利用可能です。

グループで訪問看護、訪問介護、ナーシングホーム、農業の就労支援、賃貸物件の情報などもサポートをできる体制がありますので、今後も積極的に居住支援の勉強を行いお役に立てれたら良いなと思いました。

考え方の違い

広州に去年に行って感じた事をきっかけに日本で仕事をしている中国の方に聞いてみました。中国ではインスタ・フェイスブックは見れないが困らないか聞いてみると、そのような似たようなサイトがありそれを利用しているとの事。

なんでも似たようなサービスはあるし、無料でなんでもダウンロードができる方法もあるとの事。なので映画・音楽などを有料で借りる概念がないらしく、日本に来てびっくりしたとの事でした。

しかもパソコンで使うソフトもなんでも使える方法があるそうです。日本では考えれない事で、誰もが中国人であれば活用しているのではという事でした。何でもないものは作るという発想です。

不動産は米国・オーストラリ・日本と人気があり、日本で永住権をとるには自動車免許で1度でも違反があれば取り消しなので日本にいる中国人はみんな真面目に暮らしているとの事でした。

考え方、概念は話してみないとわからないと思いました。
なので考え方を確認して仕事を進めないと、いずれ問題は起こる事もあるし、少しおかしいと思えばすぐにすり合わせないとおかしな結果にもなります。

今、私も新しいリフォーム屋さんに仕事をふり、すごく勉強中です。出来上がっている仕上がりも含めてまた公開していきたいと思います。

ある会の新年会でお笑い芸人 スマイルさんの話も聞ける機会もありました。とても面白かったです。会って印象が変わりました。

良い時に

大寒波が続き雪も積もっているだろうと思い、今年初のびわ湖バレイスキー場に行ってきました。大阪府箕面市から1時間半ぐらいで行ける場所で、20年ほど前に一回行ったきりで久しぶりです。

積雪50センチでしたが滑るのに十分でした。農業で体を動かしますが、滑るたびに足の疲労がたまり、午前中滑っただけで屈伸するだけで太ももが痛いのです。

だが、疲労度を考えながら楽しめるペースで、休憩しながら滑ったり、休憩しながら人がいなくなったタイミングで一気に楽しめるポイントをすべるなどいかに楽しむかを考えて滑っていたら結局はリフトの終了する16時半まで滑っていました。

一人であれば滑るのをやめていたと思いますが、そこに息子もいて、楽しんでいる顔を見れた事も大きかったと思います。

仕事でも同じ方向を見れる仲間がいればとっても楽しいですし、もっと何か出来る事はないかと考えます。

そんな事を考えながら楽しめる日が続くように向き合っていけたらと思っています。