治らないといわれた足で歩けるようになった!??

オーストラリアにある少女が住んでいました。
名前を仮にナターシャとします。
ナターシャは生まれてすぐに遺伝性の病気で体を悪くしてしまい、
足の関節が動かなくなってしまったのです。
ですから歩くことが出来ません。
母親は彼女を医者に連れて行き、リハビリに通わせ、
いろんな治療方法を試みてきたのですがどれも効果がなく、
彼女の足の状態にはまったく改善がみられないのでした。
ナターシャはだんだんと希望を失い、うつ状態になっていったのです。
表情はいつも暗く、時に激しく親に当たるようになってしまいました。

ナターシャのご両親は本当につらく思い、困り果てていました。
そんなある日、ふとしたことで子馬を購入する話が持ち上がり、
ご両親はナターシャのためにこの子馬を飼うことになったのです。
それは本当に可愛らしい子馬で、ナターシャもたいそう気に入ったのです。
彼女は子馬をとてもかわいがりました。子馬の無邪気さと可愛らしさは
彼女の心を少しずつ解きほぐしていくかのようでした。
暗く沈んでいた彼女の表情も少しずつ明るくなっていきました。
ナターシャはこの子馬のことが大好きだったのです。

(少しずつ心を開いていくナターシャ。そんな彼女の病状に
かすかな変化が!・・・続きは次号で!)

先日心温まるとってもいい話をスタッフから聞きました

朝晩の冷え込みがきつくなってきました。寒い冬がもうそこまできている
のでしょう。

そんな冬の訪れを前に、先日心温まるとってもいい話をスタッフから聞か

されました。

病気を克服していく少女の話なのですが本当に感動の物語でした。涙もろ

い私はちょっとうるうるきてしまいました。次回のメルマガではこのお話

を紹介するつもりです。

お楽しみに!

知人の事故の後遺症にタヒボ茶を勧めてみてよかった!(後編)

 大きな交通事故に会われ、1週間昏睡状態だった谷口さんは、ようやくス
プーンを持てるまで回復しました。しかし、医師からは無常にも再手術の
宣告。

谷田さんは大いに悩みました。
看病する家族にも当たりました。
不安と恐れにどうしようもなく奥様や祖母様にまで当り散らす始末でした。

でも不安を乗り越え再手術を受ける決心をしました。

ここまでが前回までのお話でした。

手術は6月に成功しました。
本当に良かったです。
不安を乗り越え、決心をして臨んだ手術が成功しました。
不安を抱えながら手術台に向かう気持ちはどうでしたでしょうか。

私はそのことを思うと谷田さんは立派だと思いました。

そんな谷田さんから、9月初旬に連絡がありました。
なんと私の家の近所の病院に移ったというじゃありませんか。

もちろん病院へお見舞いに行きました

病院に行くと体も5月の時より動いていて、首を固定しているものも外れて
いたのです。すごい回復力だと思いました。
事故当初の悲惨な状態を知っているのでとてもほっとしました。

入院してから1週間は昏睡状態、続く脳の手術、リハビリでスプーンが動か
せるようになったのに再手術。
そして目の前に谷田さんが元気でおられる。
素晴らしい回復力です。
本当に私はうれしかったです。
奥様や祖母様の看病のおかげだと思いました。

さて私は谷田さんが事故に会われてからタヒボを心のそこから勧めるかどう
か本当に迷っていました。
事故当初は、いろんな薬を飲まれていました。
少しよくなった時に、また頭の手術をして何も体が動かない状態に戻るとい
う事も知っていました。

そのような状況を聞いていたので飲まないよりかは飲んだ方がいいですよと
言う事ぐらいしか言えませんでした。

しかし、今回谷田さんから色々お話を聞くと『あとはリハビリをどんどん
して、完全復帰に向けて頑張るだけ』とおっしゃっていました。

ビタミン剤などを病院からもらっているということも聞いたので私は、それ
だったらタヒボを飲んでもらたいと心の底から思いました。そこで初めて真
剣に勧めました。
そしたらあっさり飲んでみようかなと言ってくれたのです。

谷田さんにタヒボを勧めてすんなりご了承してくれた時に感じた事は、もっ
と早くに勧めたらよかったと思いました。
なぜなら、谷田さんご自身から本当になんとかしたいという思いをとても強
く感じたからです。私は心の中で今までなんでもっと勧めなかったんやろと
思いました。

私が心の底からタヒボを勧めることを今まで言えなかったのは、どこかで嫌
われたらどないしようとか思っていたのではと思いました。身内だったらも
っと強く事故に会った当初、意識あったときから絶対に飲んでもらっている
と思いました。

これは私の弱さかもしれません。
あるいは自分が勝手に「谷田さんには今は必要ない」と思い込んで決め付け
ていたのかもしれません。
実はそうではなかったんですね。

今回、谷田さんと接してきて感じた事は、相手の事を思うならなおさら確信
できる情報は、人からどう思われようがはっきり伝えることだと思いました。

自分で決め付けたり、思い込んではいけないんだと心から感じました。
そうすることによりタヒボを飲む機会を奪ってしまっていたかもしれません。
今まで身内だったらどうするかを常に言ってきた私が、どんな状況であれ
言えなかったのが大きなフィードバッグでした。

日ごろ言ってきたことが実践できてないと思われても仕方がないような出来
事でしたが、スタッフ全員に谷田さんとの経緯と感じたことを話しました。

今回の出来事は、人にどのように思われようが自分が信じた事を言う勇気は
、後悔しない為にもとても大事だとあらためて感じました。

そんな出来事が私にとって大きな気付きをくれました。

知人の事故の後遺症にタヒボ茶を勧めてみてよかった!(前編)

私は、常々スタッフに対してタヒボを飲まれているお客様には、身内だと
思って接するようにと言ってきました。

しかし、そう言ってきた私自身、お客様の体の状態を見て、私が信じている
情報をはっきりと言わない方がいいと思ったり、信じている情報を伝えなか
ったりしたことがありました。

今回、こうしたお話をなぜするようになったのか。私がスタッフに言ってい
たことが実践できていなかった事、考え方を改めさせられるような出来事が
起きたのでお伝えしたいと思います。

私がスタッフに対して指示していたことが、実際に私がその場に直面したと
きにできなかった。
これは私の反省と同時に気づかせてくれた事についてのお話です。

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その出来事とは、今年の3月のことです。

今までタヒボを飲まれていた知人の谷田さんが大きな交通事故にあわれた事
が発端です。

私は谷田さんが事故にあった知らせを聞いて、早速、病院にお見舞いに伺い
ました。谷田さんの病室でお目にかかりましたが、何と首の骨が折れ、体が
動かないという状態でした。元気だったころの谷田さんとは大違いで、まる
で面影も無く、目を疑いました。

頭の中も出血していたらしくて手術を行いましたが、絶対安静で腕に全く力
が入らなかった状態だったのです。しかも1週間、昏睡状態で本当にあぶな
かったそうです。よく生還したものだと本当にうれしかったことを覚えてい
ます。

頭の内の出血もひどかったため、谷田さんの言葉は聞き取りにくく、一生懸
命聞かないとわからない状態でした。それほどひどかったんです。

私はそうした状態を目の当たりにして『助かって良かったですよ』といい続
けることしかできませんでした。谷田さんは現実に目の前で事故から生還
され、奇跡的に生きている姿を見ていると、命ある限り、可能性は絶対ある
と思ったからです。薬も色々な種類のものを数多く服用していました。

それから2ヵ月後の5月になった時のことです。
まだ握力は回復していないものの、スプーンを持てるまでには回復しました
。それと同時に今まで動かすことができなかった体も少しずつですが動かせ
るようになりました。

そんな矢先です。
また手術をしなければならないと医師から告げられたのです。

折角、回復する兆候が見えてきたのにまた手術。
どんなに落胆したことでしょう。

しかも手術するとまた一からリハビリです。
しかし、医者からは手術をしないとこれ以上は良くならないと言われたそう
です。手術は、頭の中の手術ですから谷田さんは不安とまた最初の状態に戻
る苛立ちとでどこにこの苛立ちをぶつけたらいいかわからない状態でした。

私がお見舞いに伺ったのは、谷田さんが再手術を受けるかどうか悩まれてい
る時でした。

何日も何日も悩まれたそうです。

その日は奥様と祖母様がいらっしゃっていました。
谷田さんのいらだっている状態がいつになったらおさまるのやらと、大変困
った顔で私に教えてくださいました。

谷田さんがいらだって、『手術がもし失敗して誰が面倒見てくれるねん』と
いう言葉を突然話されました。
無理もないと思います。
先行き不安だらけです。
もう2ヶ月も入院しているんです。
やっとスプーンが持てる状態に回復したのに、また手術。

すると祖母様は谷田さんに『私たちがいるでしょ。どんな状況になっても私
たちがいるじゃない』ととても強い口調でおっしゃっていました。

『なんで私達を信じれないの』と何度もおっしゃっていました。
その強い口調は、誰が聞いても愛情のある言葉でした。
本当に真実がこもり、感動させられる言葉でした。

それから30分ぐらいしてから私と二人で車椅子で病院の喫茶店に行きました
。とてもこの先誰が面倒を見てくれるなどの不安な事などを教えてくれまし
たが、奥様、祖母様の話を聞いたあとだったので、そんな心配はいらないと
思いましたので、『そんな心配全然いらないじゃないですか。あれだけ言っ
てくれるのは真実ですよ。』と私もなんとか手術をしてもらえるように言い
ました。

すると谷田さんは、最後には手術をすると言って下さいましたので、ほっと
一安心しました。
それから私は、タヒボも勧めようと考えました。
しかし、手術を前にこんなことを勧めてもいいものかどうか、正直悩みま
した。その結果、勧めることができませんでした。

私がスタッフに言っていたことができなかったのです。
なによりも谷田さんはタヒボの愛飲者でした。
その方にタヒボを勧めることができませんでした。

それでよかったのか?

この件は私の中で大きな疑問符とともに尾を引きました。

次号へ続く

化粧品の感想をくださった方は当社を辞退された方 これも不思議なご縁?

今回、化粧品の体験談をくださったのは当社の求人募集に応募さ
れ、面接にこられて残念ながら辞退された田中さんです。
田中さんは、ホームページのWEB制作希望でした。
私は、田中さんの職歴を拝見すると最初は一般事務を中心にしていただき、
WEB制作はウエブスタッフの補助的な事をしていただこうと思っていまし
た。

田中さんもWEB制作のキャリアを一般事務をしながら、補助的なことから
キャリアを積んいくのに納得もしていたのですが、私が『WEB制作に関わ
りながら何か夢はありますか?』とお尋ねすると田中さんには大きな夢があ
りました。

それはウエブ制作にどんどん関わっていき、キャリアを積んで独立したいと
いう夢です。

私はそれを聞くと、私はまずは一般事務を中心に考えているので、田中さん
の夢には遠ざかると思うし、よく考えてください。返事をお待ちしています
のでと答えました。

やっぱり、夢に対しては遠回りをせず、まっすぐ突き進んで欲しい。
夢に対して頑張って欲しいとおもったからです。

やはり、田中さんからは辞退のメールが送られてきました。
私は、夢に対して頑張ってくださいねと返信しました。

すると不思議な事にそれから何日後に化粧品のご注文を頂いたのです。
そのご注文とメールを見てびっくりしました。
私は面接の時にはタヒボの話と私がどのようなおもいで仕事を始めたのかと
いう話しかしていないのに関わらず、化粧品をご注文してくださったのです。

もううれしいのと反面無理してないかなという気持ちになりました。
しかし、化粧品の感想をいただいた時には本当によかったと思いました。