抗がん剤でも効かなかったリンパ癌を克服

取引先の方より紹介をしていただいた、埼玉県にお住まいの
癌(がん)を克服した方を取材する事が出来ました。

取材にご協力してくださったのは箕輪さんです。
箕輪さんは39歳の時、首の周りにしこりがあったため、
病院で診察をしてもらうと、リンパ癌と診断され、
放射線治療をされたそうです。
その放射線治療で、一旦はがんを克服されたのですが、
首の周り、腹部、そけい部などに再発してしまったのです。

しかし、再発してから、抗がん剤を繰り返し、繰り返し行っ
ても、一向に良くならなかったため、その時、がんに対する
考え方を改めたそうです。それは、

『がんというものは「現象」にすぎず、
 「現象」をいくら攻撃しても無駄なことであって、
 「現象」を作り出す原因を探り、
 その原因に向かって治療をしないといけないのだ。』

というもので、そのような思いになってからは、医者には一
切かからなくなったそうです。

その後は、自分の体なので、自分で調べようと思われ、徹底
的に自分の体を見つめる治療が始まったのです。

もう、話を聞いているだけで、がんを克服するために、ここ
まで考え方が変わるのだと、驚き、感心するとともに、ご自
身の健康状態を知るための努力と、その努力からくる絶対的
な自信は、本当に聞いていて感動しました。

詳しくは、がんを克服してきた人達の物語での取材CDとして
お配りします。
ただいま準備中のため、メールマガジンのご登録をしていた
だきますと、ご用意が出来た時にはお知らせできます。

がんを克服してきた人達の物語での取材CDとは

がんを克服してきた人達への取材の旅は、今回3人の方々とお
話しする事が出来ました。
次回は、乳癌を克服された方を少しご紹介したいと思います。

余命1年と言われてから完全治癒の物語公開

近藤さんへの取材で一番驚いたのは、悪性リンパ腫ステージ4B
の状態で、長期目標として「1年後にガン完全治癒」と書き出し、
短期目標には「自分の治癒する為」の目標を設定した点
でした。

医者から「手術しなければ余命1年」と強調して言われた後に、
これらの目標を設定
したのです。

手術をしなかった(拒否した)のには、3つの理由がありました。
まず1つ目は、身内の方が抗ガン剤をしてすぐに亡くなった事。

2つ目は、大切な友人が何度も手術の繰り返して、ガンが治らないとい
うのを目の当たりにしてきた事。

3つ目は、近藤さんの担当医師の人間性に納得がいかなかった事です。

目標には、西洋医学の治療を受けずに代替療法を行っていきました。
その中でも自分の体に反応が出るもの。例えば、悪いものが出る、体が
熱くなるなど自分の体に反応の出るものだけを中心に行ってきたのです。

主に
? 玄米菜食
? 漢方薬服用
? 運動・体操・呼吸法
? 手当て法(里芋パスタ・ビワの葉療法)
? ストレス解消(仕事は中止)
? 規則正しい生活を実践されたのです。

これらを実践していくうちに、お腹にあったこぶし大の硬い腫瘍が軟ら
かくなっていきました。しかし効果を感じる事で自信がでてきた時に
胃の下部がただれて破裂し、すでに大腸から胆嚢にまで転移していたの
です。その腫瘍部分を切除して、意識がはっきりしないまま10日目に
抗がん剤を6時間の予定が心臓に異常がおき3時間だけ行いました。

抗ガン剤をうけたのは、意識がハッキリしてなくて、自分の意思で
行ったのではないこの1回きり。手術を受け、20日間は点滴のみでした。
(その時の体重は35キロで白血球2800)

退院後は、さらに根菜を中心に玄米菜食を徹底して行い、完全にがん
を克服したのです。

取材を終えての感想は、とても純粋に自分の直感を信じて行動している
方だと思いました。
「直感を信じる事は自分を信じている証拠。」とおっしゃられた時に
は、その言葉の重みが伝わってきました。

よく「近藤さんだから克服できたんですよ」と言われるらしいのです
が、そのように言われるのがとても嫌だそうです。

治った方と治らない方の違いは、
「どれだけ自分を信じて実践できるのか。」ともおっしゃってい
ました。命より大切な選択はないのだからと、仕事も全部すぐに
やめられ、人一倍「治したい」という気持ちと、自分を信じきった力
こそが完全治癒に導いたのだろうと強く感じました。

近藤さんの完全治癒への物語「絶対、生きてやる」
取材CDプレゼント中!詳しくはこちら

悪性リンパ腫ステージ4Bを克服した方を取材

11月17日に悪性リンパ腫ステージ4Bを克服した近藤町子さんに
取材に行ってきました。

近藤町子さんはウェラー・ザン・ウェルの会会員で元カネボウ常務
を女性ではじめて歴任されていた方です。

ウェラー・ザン・ウェルとは、
「病や挫折の向こうにこそ真の健康と幸福が待っている。
今は受け入れがたい運命も、大きな恵みだったといえる日が、
必ずくることを教えている。どんなに酷烈な困難や絶望からも、
人は育っていくことができるのだ。私達は、この絶対の真理を
どこまでも真っすぐに見つめていきたい。ガンは治る。
あらゆる病も治る。それが命の本質だからだ」と
近藤町子さんが著者の「絶対、生きてやる」
に書かれていました。

近藤さん書籍「絶対生きてやる」

私が、近藤さんを取材したいとおもった理由は、
NPO法人ガン患者学研究所の川竹さん

から、近藤さんの話を聞いていて、半年前まで
あったスケジュールを病気治療の為に、全部キャンセルし、病気と
向き合って克服したと聞いていたからです。

取材した内容を編集するのに時間もかかりますので、内容については
また詳しく取材した内容をおくばりできる時に公開しますが、
第一回世界一元気ガンの患者学ワールド
でも近藤さんはお話されます。

是非ともお勧めの講演会ですので、タヒボNFD(タヒボ茶)
をお買い上げいただいた方には、無料でプレゼントなども行っています。

是非とも、病気で悩まれている方は講演会に行かれる事をお勧めします。
私達スタッフ4名ほどが12月16日に開催される講演会に行き、勉強しに
行きます。タヒボご愛飲者の方でご参加される方は、是非ともお会いし
たいと思っています。

ガンの患者学研究所代表川竹さんを取材!

出張2日目の事なのですが、NPO法人 ガンの患者学研究所代表川竹さんを
取材に行きました。私が前から取材をしたいと思っていた方です。

以前に川竹さんの著書「幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録」
を読み、ブログでもイメージトレーニングで脳腫瘍を克服した話を抜粋
して、紹介するなど、参考になる話が多く、是非ともお会いしたいと
思っていた方です。

イメージトレーニングで脳腫瘍を克服した話はこちら

「幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録」はこちら

初めてお会いした印象として、細長いするどいを目をされていて、何で
も見透かされそうな感じがしました。その鋭いまなざしにさらに緊張し
ました。

私は、「幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録」からさらにどの
ような人ががんを克服して、どのような言葉が印象に残ったのか、とい
う取材の流れになるのかと思っていましたが、川竹代表はさらに私が
思っている以上にたくさんのがんの克服された方の取材をもとに、川竹流
のガン克服法という3つの実践法の話になりました。

川竹さんは、川竹流のガン克服3つの実践法などの普及で2003年に
は、闘病中の患者さん千人と癌を克服した124人が一堂に集まり、
2日間にわたって体験の交流をするという世界初のイベントを開催して
いるのです。

もうがん患者さんと直接触れ合う数が違い、情熱がすごいと感じました。

私が取材の中で一番印象に残った言葉は、
「口で話す事が出来る人は大丈夫」という言葉です。
大丈夫とは、川竹さんの経験上、がんを克服する可能性があると言う事
です。

もうこの言葉を聞いた時には、「救われた!」ととても思いました。
私は、これから山形県でがんで闘っている方と群馬県で入院されている
がんの方のお二人にお会いし、川竹さんから聞いた言葉を含めてお伝え
し、少しでもガンを克服する希望を持っていただきたいと思っていたか
らです。

取材の中で本当にガンの方に役に立つ実践法、気持ちの持ち方などすば
らしい内容が詰まっていると自信を持ってお勧めできます。取材CDは
80分ですが、制作でき次第、無料プレゼント特典として追加いたします。

私は、取材内容にとっても満足し、このまま山形県に向かいました。

取材を終えて感じた事

  私は、全国放送のテレビで荒金さんを見て、絶対にこの人に取材し
 たいという思いから始まり、日曜日にお会いする事が出来ました。

 取材を終えて本当にこの機会をくださった荒金さんに本当にありがと
 うございますという気持ちと、念願がかなったという喜びでいっぱい
 です。

 2月21日、3月22日に私の個人ブログでも書きましたが荒金さんの事
 だったのです。

 取材を終えて車の中でスタッフと話していたのですが、
 「とっても良かった」の連発でした。スタッフもそのテレビを見てい
 たので、とっても直接お話が聞けて感動していました。

 私が印象に残った事は、荒金さんの話を聞き終えて、辛かった事も
 良い事も人生にはとても意味があるとつくづく感じました。
 それと人との関わり、信頼関係はとても大事でとてつもなく大きな力に
 変わると感じました。

 荒金さんは、2回目の癌の時肝臓全体に癌が広がっており、手術が出来
 ない状態でした。GOT、GPTの数値は4桁、CEA(乳がん、肺癌の肝転移
 の診断に重視される)、CA15-3(乳がんマーカーの一つ)はそれぞれ
 正常値の130倍。

 抗がん剤治療の副作用で集中治療室に運ばれて、意識もうろうの中、
 岡山大学の教授が 
 「この経験が今後の看護に活かせれば、きっと最高の看護師になれる、
  楽しみに待っていますからね」という言葉ではっきりとまた白衣を
 着たいという気持ちになったとおしゃっていました。
 

 この内容は、2月21日のブログでもご紹介させてもらいましたが、
 先生との関わりで希望が持てたのはこれだけではなかったのです。
 

 集中治療室で言葉も話せない、チューブに繋がれていて、昼か夜かも
 わからない。普通なら2、3日でパニックになるらしいのです。

 
 そんな中、主治医の先生に荒金さんは、
 「1ヶ月?2ヶ月で地元の呉市に帰れると言ったじゃないですか。」
 と初めて筆談で愚痴をこぼしたそうなんです。
 

 それに対して猶本先生は荒金さんの肩をポンポンたたきながら
 「そんなわがままをいわなさんな、僕は薄氷の上を歩いているような
  もので、ここで呼吸器をはずしたら僕にとって殺人行為で、あなた
  にとって自殺行為になるんですよ。こんなに頑張っているじゃない
  ですか。あなたも頑張んなさい。」と叱咤激励があったから50日間
 頑張れたともおっしゃっていました。

 私はこの話の時に涙がでそうになり、感動していました。
 この取材内容もCDにして会員様にはおくばりするつもりです。