朝晩の冷え込みがきつくなってきました。寒い冬がもうそこまできている
のでしょう。
そんな冬の訪れを前に、先日心温まるとってもいい話をスタッフから聞か
されました。
病気を克服していく少女の話なのですが本当に感動の物語でした。涙もろ
い私はちょっとうるうるきてしまいました。次回のメルマガではこのお話
を紹介するつもりです。
お楽しみに!
朝晩の冷え込みがきつくなってきました。寒い冬がもうそこまできている
のでしょう。
そんな冬の訪れを前に、先日心温まるとってもいい話をスタッフから聞か
されました。
病気を克服していく少女の話なのですが本当に感動の物語でした。涙もろ
い私はちょっとうるうるきてしまいました。次回のメルマガではこのお話
を紹介するつもりです。
お楽しみに!
大きな交通事故に会われ、1週間昏睡状態だった谷口さんは、ようやくス
プーンを持てるまで回復しました。しかし、医師からは無常にも再手術の
宣告。
谷田さんは大いに悩みました。
看病する家族にも当たりました。
不安と恐れにどうしようもなく奥様や祖母様にまで当り散らす始末でした。
でも不安を乗り越え再手術を受ける決心をしました。
ここまでが前回までのお話でした。
手術は6月に成功しました。
本当に良かったです。
不安を乗り越え、決心をして臨んだ手術が成功しました。
不安を抱えながら手術台に向かう気持ちはどうでしたでしょうか。
私はそのことを思うと谷田さんは立派だと思いました。
そんな谷田さんから、9月初旬に連絡がありました。
なんと私の家の近所の病院に移ったというじゃありませんか。
もちろん病院へお見舞いに行きました
病院に行くと体も5月の時より動いていて、首を固定しているものも外れて
いたのです。すごい回復力だと思いました。
事故当初の悲惨な状態を知っているのでとてもほっとしました。
入院してから1週間は昏睡状態、続く脳の手術、リハビリでスプーンが動か
せるようになったのに再手術。
そして目の前に谷田さんが元気でおられる。
素晴らしい回復力です。
本当に私はうれしかったです。
奥様や祖母様の看病のおかげだと思いました。
さて私は谷田さんが事故に会われてからタヒボを心のそこから勧めるかどう
か本当に迷っていました。
事故当初は、いろんな薬を飲まれていました。
少しよくなった時に、また頭の手術をして何も体が動かない状態に戻るとい
う事も知っていました。
そのような状況を聞いていたので飲まないよりかは飲んだ方がいいですよと
言う事ぐらいしか言えませんでした。
しかし、今回谷田さんから色々お話を聞くと『あとはリハビリをどんどん
して、完全復帰に向けて頑張るだけ』とおっしゃっていました。
ビタミン剤などを病院からもらっているということも聞いたので私は、それ
だったらタヒボを飲んでもらたいと心の底から思いました。そこで初めて真
剣に勧めました。
そしたらあっさり飲んでみようかなと言ってくれたのです。
谷田さんにタヒボを勧めてすんなりご了承してくれた時に感じた事は、もっ
と早くに勧めたらよかったと思いました。
なぜなら、谷田さんご自身から本当になんとかしたいという思いをとても強
く感じたからです。私は心の中で今までなんでもっと勧めなかったんやろと
思いました。
私が心の底からタヒボを勧めることを今まで言えなかったのは、どこかで嫌
われたらどないしようとか思っていたのではと思いました。身内だったらも
っと強く事故に会った当初、意識あったときから絶対に飲んでもらっている
と思いました。
これは私の弱さかもしれません。
あるいは自分が勝手に「谷田さんには今は必要ない」と思い込んで決め付け
ていたのかもしれません。
実はそうではなかったんですね。
今回、谷田さんと接してきて感じた事は、相手の事を思うならなおさら確信
できる情報は、人からどう思われようがはっきり伝えることだと思いました。
自分で決め付けたり、思い込んではいけないんだと心から感じました。
そうすることによりタヒボを飲む機会を奪ってしまっていたかもしれません。
今まで身内だったらどうするかを常に言ってきた私が、どんな状況であれ
言えなかったのが大きなフィードバッグでした。
日ごろ言ってきたことが実践できてないと思われても仕方がないような出来
事でしたが、スタッフ全員に谷田さんとの経緯と感じたことを話しました。
今回の出来事は、人にどのように思われようが自分が信じた事を言う勇気は
、後悔しない為にもとても大事だとあらためて感じました。
そんな出来事が私にとって大きな気付きをくれました。
私は、常々スタッフに対してタヒボを飲まれているお客様には、身内だと
思って接するようにと言ってきました。
しかし、そう言ってきた私自身、お客様の体の状態を見て、私が信じている
情報をはっきりと言わない方がいいと思ったり、信じている情報を伝えなか
ったりしたことがありました。
今回、こうしたお話をなぜするようになったのか。私がスタッフに言ってい
たことが実践できていなかった事、考え方を改めさせられるような出来事が
起きたのでお伝えしたいと思います。
私がスタッフに対して指示していたことが、実際に私がその場に直面したと
きにできなかった。
これは私の反省と同時に気づかせてくれた事についてのお話です。
———————————————————————
その出来事とは、今年の3月のことです。
今までタヒボを飲まれていた知人の谷田さんが大きな交通事故にあわれた事
が発端です。
私は谷田さんが事故にあった知らせを聞いて、早速、病院にお見舞いに伺い
ました。谷田さんの病室でお目にかかりましたが、何と首の骨が折れ、体が
動かないという状態でした。元気だったころの谷田さんとは大違いで、まる
で面影も無く、目を疑いました。
頭の中も出血していたらしくて手術を行いましたが、絶対安静で腕に全く力
が入らなかった状態だったのです。しかも1週間、昏睡状態で本当にあぶな
かったそうです。よく生還したものだと本当にうれしかったことを覚えてい
ます。
頭の内の出血もひどかったため、谷田さんの言葉は聞き取りにくく、一生懸
命聞かないとわからない状態でした。それほどひどかったんです。
私はそうした状態を目の当たりにして『助かって良かったですよ』といい続
けることしかできませんでした。谷田さんは現実に目の前で事故から生還
され、奇跡的に生きている姿を見ていると、命ある限り、可能性は絶対ある
と思ったからです。薬も色々な種類のものを数多く服用していました。
それから2ヵ月後の5月になった時のことです。
まだ握力は回復していないものの、スプーンを持てるまでには回復しました
。それと同時に今まで動かすことができなかった体も少しずつですが動かせ
るようになりました。
そんな矢先です。
また手術をしなければならないと医師から告げられたのです。
折角、回復する兆候が見えてきたのにまた手術。
どんなに落胆したことでしょう。
しかも手術するとまた一からリハビリです。
しかし、医者からは手術をしないとこれ以上は良くならないと言われたそう
です。手術は、頭の中の手術ですから谷田さんは不安とまた最初の状態に戻
る苛立ちとでどこにこの苛立ちをぶつけたらいいかわからない状態でした。
私がお見舞いに伺ったのは、谷田さんが再手術を受けるかどうか悩まれてい
る時でした。
何日も何日も悩まれたそうです。
その日は奥様と祖母様がいらっしゃっていました。
谷田さんのいらだっている状態がいつになったらおさまるのやらと、大変困
った顔で私に教えてくださいました。
谷田さんがいらだって、『手術がもし失敗して誰が面倒見てくれるねん』と
いう言葉を突然話されました。
無理もないと思います。
先行き不安だらけです。
もう2ヶ月も入院しているんです。
やっとスプーンが持てる状態に回復したのに、また手術。
すると祖母様は谷田さんに『私たちがいるでしょ。どんな状況になっても私
たちがいるじゃない』ととても強い口調でおっしゃっていました。
『なんで私達を信じれないの』と何度もおっしゃっていました。
その強い口調は、誰が聞いても愛情のある言葉でした。
本当に真実がこもり、感動させられる言葉でした。
それから30分ぐらいしてから私と二人で車椅子で病院の喫茶店に行きました
。とてもこの先誰が面倒を見てくれるなどの不安な事などを教えてくれまし
たが、奥様、祖母様の話を聞いたあとだったので、そんな心配はいらないと
思いましたので、『そんな心配全然いらないじゃないですか。あれだけ言っ
てくれるのは真実ですよ。』と私もなんとか手術をしてもらえるように言い
ました。
すると谷田さんは、最後には手術をすると言って下さいましたので、ほっと
一安心しました。
それから私は、タヒボも勧めようと考えました。
しかし、手術を前にこんなことを勧めてもいいものかどうか、正直悩みま
した。その結果、勧めることができませんでした。
私がスタッフに言っていたことができなかったのです。
なによりも谷田さんはタヒボの愛飲者でした。
その方にタヒボを勧めることができませんでした。
それでよかったのか?
この件は私の中で大きな疑問符とともに尾を引きました。
次号へ続く
今回、化粧品の体験談をくださったのは当社の求人募集に応募さ
れ、面接にこられて残念ながら辞退された田中さんです。
田中さんは、ホームページのWEB制作希望でした。
私は、田中さんの職歴を拝見すると最初は一般事務を中心にしていただき、
WEB制作はウエブスタッフの補助的な事をしていただこうと思っていまし
た。
田中さんもWEB制作のキャリアを一般事務をしながら、補助的なことから
キャリアを積んいくのに納得もしていたのですが、私が『WEB制作に関わ
りながら何か夢はありますか?』とお尋ねすると田中さんには大きな夢があ
りました。
それはウエブ制作にどんどん関わっていき、キャリアを積んで独立したいと
いう夢です。
私はそれを聞くと、私はまずは一般事務を中心に考えているので、田中さん
の夢には遠ざかると思うし、よく考えてください。返事をお待ちしています
のでと答えました。
やっぱり、夢に対しては遠回りをせず、まっすぐ突き進んで欲しい。
夢に対して頑張って欲しいとおもったからです。
やはり、田中さんからは辞退のメールが送られてきました。
私は、夢に対して頑張ってくださいねと返信しました。
すると不思議な事にそれから何日後に化粧品のご注文を頂いたのです。
そのご注文とメールを見てびっくりしました。
私は面接の時にはタヒボの話と私がどのようなおもいで仕事を始めたのかと
いう話しかしていないのに関わらず、化粧品をご注文してくださったのです。
もううれしいのと反面無理してないかなという気持ちになりました。
しかし、化粧品の感想をいただいた時には本当によかったと思いました。
私は、東大阪でグループホーム(高齢者の方が少人数で生活できる施設)とやまびこ会の運営と脳卒中の会の理事をされていらっしゃる吉岡社長とお会いできる機会をいただきました。やまびこ会というのは、脳卒中という病気を経験された方が集まっている会です。脳卒中というのは、脳の血管がつまり、歩行障害、言語障害などが起こる非常に恐ろしい病気です。私は、吉岡社長から1週間後にやまびこ会の遠足があるからとお聞きしたのでどのような会なのか参加してみようと思いました。
やまびこ会では、毎月皆さんで集まり月に一回の遠足もしくは舞州に行って外に出る事を非常に大事にされています。東大阪から舞州ですと1時間ぐらいかかり、とても遠いのですが舞州にある障害者施設はプールなども使えて、無料で使用できるとの事でした。近辺にはそのような大きな施設で無料で使える所がないのです。今回は、河内長野の花の文化園です。
私も仕事柄いろんなご病状の方にお会いする事もあるのですが、このような会に参加するのは今回初めてです。急遽、今回ボランティアとしてお手伝いする事になりましたが、はたして病気の事などに触れてもいいものかなどどのような話をすればいいのかという不安がありました。
全員で30名でした。東大阪で集合し、市が無料で貸してくれるバスで行くことになりました。
バスの中では病気の話がバンバン飛び交っていましたし、とてもみなさん元気でよくおしゃべりされるのに正直驚きました。私は、アンケート用紙のご記入の為、お隣の席の方に病状の事などを聞く機会がありました。そこで初めてお隣の方とお話が出来ました。病気になって何年か経過するとおっしゃっていました。話をしているときの表情は、とても明るくどっちかというと私の方がくらい顔をしていたように思います。病気の事がとても生々しかったからです。私は、とてもタヒボの話をしようかと迷いましたが、ボランティアで参加なので私の話は辞めとこうと思いました。
花の文化園の駐車場に着いたのですが駐車場から花園まで700メートルぐらいと距離が少しありました。車椅子の方が6名ほどいらっしゃいました。私も車椅子を押すのを手伝いました。花園まで行く途中に普通に歩いても急な坂と感じるぐらいの坂があり、道路から歩道になる所に少しの段差がありました。
そこで私が車椅子の前方を少し持ち上げると、倒れそうになりました。このような坂は、誰かが付き添っていないと坂道での少しの段差はとても困難だと思いました。車椅子の方にとってバリアーフリーがいかいに大切であるかという事がこの時ようやくわかったような気がします。
昼食の時、テーブルに4人ずつ座っていますので私が花の文化園まで車椅子を押した中川さんと一緒に食事する事になりました。中川さんは、話しかけると返事はしてくれます。
あと、女性の田中さん、竹下さんとです。竹下さんは、ビールを飲まないのに周りの方が飲むビールの注文数を確認して、注文してくださいました。私にも、『暑いな。お兄ちゃんビールのんでよ』と言ってくれたのです。とてもうれしかったです。私は喜んでグビグビビールを頂きました。
食事中には病気の状態、病気になった事などを教えてくださいました。今まで健康診断などでは全く異常がなかったらしいのです。検査後、少し調子が悪いなと思ったときには朝突然に病気が襲ってきたそうです。それから好きなビールは、飲むのを辞めているとおっしゃっていました。
私はお話を伺っている時に、またタヒボの話を何度もしようと思ったのですが、できませんでした。
食事が終わると、中川さんを女性のヘルパーさんが押して移動しようとする時に、私はそのヘルパーさんの隣に居りました。すると女性のヘルパーさんでなく、私を選んでくれたのです。正直、私は男性より女性の方が喜ぶのではと思ったのですが、何故だか選んでくれた事に嬉しく思いました。
私は、はりきって押しながら花を見て回りました。(単純なもんで、、)
そして、中川さんがトイレの方を指差したので小走りで一緒に入りました。そして数分後、トイレから出ようとすると隣にあった車椅子用の便所を指差したのです。私は『ウワッー』と思いました。何で気付かなかったのだろうと思いました。
それから、ジュースの自動販売機を指差したので、私が自動販売機にお金を入れ中川さんの分を買うと、私の分とジュースを買う前に5分ほど一緒におられた方の分もという事で私は中川さんにごちそうになりました。その時私は、とてもうれしかったし一緒に話されていた方のジュースまで買うやさしさが私ならそこまでの配慮をしないと思い、中川さんの無言の気遣いがとてもかっこよかったです。
私はバスの帰りの中今日の感想とタヒボの話を皆さんの前で話をさせていただきました。
いつもならお話をさせてもらった後、タヒボ茶の情報を伝えれたという満足感があるのですが、今回は情報をお伝えしたというより、ボランティアという事を言ってみなさんに接していたのに、結局売り込みなのかと思われているような気がしてなんだかすっきりしませんでした。
それは、最初からこの仕事をしていると言わずに健康関連の仕事をしているとしか言わなかったからです。この仕事をしていると言うと警戒され、気持ちを閉ざすのではないかと思ったからです。だが、今覚えば最初からタヒボ茶の仕事をしているといった方が自分の中では楽で、偽善者と思わずにすんだのかも知れません。そんな事を考えながら、皆さんとお別れのときがきました。送迎者に乗って帰られる時に一緒に昼食をした竹下さんは、『機会があったらまた来てね』と言って下さいました。
その言葉に少し救われたような気持ちになりました。
私は、数日後社長のところにお会いしに行きました。
私が感じた事、自分が偽善者なのではと思った事などを話しましたら、社長は、『みなさんいつ死ぬかわからん恐怖があるから、今を必死に生きている。だから朝目がさめたら起きれた事、生きている事に感謝するし、今日も生きれるという事で必死に後悔せんように過ごされている』とおっしゃっていました。あと、『そうやって偽善者とか思わんでいい。みんなほんまにええもん探してるんやし、どのような会なのかということで勉強しにきたんやから』とおっしゃってくれました。私は、社長の言葉にとても励まされました。
私はやまびこ会に参加して、お互いが励ましあったり、病院のどこの先生がいいとかの情報交換をしたり、また会おうねという言葉を交わし笑顔で別れる様子を見て、仲間の大切さをとても感じました。私はあまりみなさんとしゃべれなかったですが、みなさんの笑顔ややさしさにたくさんの元気を頂き、もっと精一杯生きていこうと思いました。
脳卒中で最近外に出ていないとか、同じ症状の方と情報交換したい、笑いたい(皆さん面白いし、スタッフが面白く親切)という方がいらっしゃいましたらお気軽にお電話下さい。
全国にもまだこのような団体は少ないですが、何かお役に立てれる情報をご提供できると思います。