思わず言った事がかなった!

毎月私が参加しているLMP経営塾という会があります。
そこで宮脇鋼管株式会社社長宮脇さんがゲストスピーカーとしていらっしゃ
っていました。
宮脇鋼管株式会社は、鋼管の卸販売、切断、加工業および鋼管リサイクル業
を営む、日本NO,1のシェアーを誇る年商43億円、従業員80人、敷地面
積6716坪と非常に大きな会社です。

そして宮脇社長は、事業以外にも全日本選手権8連覇を含む12回優勝という
実績をもたれる水上スキーの全日本チャンピオンでもあり、今までとても誰
にも真似が出来ない成績を残されている方です。

宮脇社長はお話をしている間、絶えず笑顔で聞いている私たちまでもがなん
だか理由もなく楽しくなってきました。「もし気分が落ち込んで笑えない
時は、作り笑いをする事から始めたらいい!」とおっしゃるのです。なぜな
ら「気分も変わってくる」からとおっしゃるのです。確かに宮脇社長が笑顔
でお話をされているのを聞いているだけで気分が変わってくるのですからそ
うかもしれません。

また、講演中に『言葉』と『思い』どちらが大事かという問いがありました
。私は心の中で思ってから言葉を発するので思いが大事だと思いましたが、
宮脇社長は心で思うよりまずは言葉を発する事がとても大事だとおっしゃっ
ていました。例えば『ツイテル』、『ありがとう』とたくさんいえば自然と
つきが向いてくるのです。確かに『ツイテル』、『ありがとう』と言う人、
言わない人では私は言う人の方を選ぶと思いました。そんな宮脇社長は、今
まで「達成したい!」と思った事は何でも実現してきたとおっしゃっていま
したので、言葉を発することは必要なことだと思いました。

私は、言葉だけでなく誰もが驚く結果を見出すパワフルな宮脇社長は、従業
員に対してすごく厳しく言われているのではないかと思ったのですが、社長
は今までのノルマなどは一切なく、楽しいと思う事をやり、失敗したらすぐ
に報告してほしいという方針だそうで私の想像とは全く違っていました。
お話を聞くたびに、何もかもが以外なことでした。

そして、一番驚いた事は、末期がん手前の舌癌と宣告をされ、西洋医学以外
の治療方法で完治されたのです。私は仕事柄、西洋医学以外で癌が治る方法
があるなら詳しく知りたいと思ったのですが、後日取材させていただくよう
になるとは思ってもいませんでした。

今だから言えますが、宮脇社長の講演会後、「どんな事でもなんとかなる」
と思う勢いがあったので、スタッフに社長の話をして「宮脇社長にお会いし
て詳しくお話を聞くから」と言ってしまったのです。私は言ったものの取材
をご了承してくださるかとても不安でした。しかし言ってしまったし、なん
とか取材を出来るように頑張ろうと思いました。

まず、LMP塾の塾長に何故取材をさせていただきたいかを伝えると、すん
なりと宮脇社長に聞いて下さるとの返答でした。しばらくして、LMP塾の
塾長から「宮脇社長が受けてくださるとの事なので連絡をしてみては」とい
うお電話を頂きました。お電話を頂いた時に「やったー!」と思いました。

しかし、私の中で宮脇社長は遠い存在の方だと思っていましたので、お願い
をするのにすこし躊躇の気持ちがありました。ところがお電話をさせていた
だくと宮脇社長は『私の体験がお役に立てるのなら』と快くご了承して下さ
いました。とてもうれしくてうれしくたまりませんでした。

自分の思い込みで難しいと思っていた事が、達成出来たので言ってみるもん
なんだと思いました。
                                

タヒボ講演会を実現した仲間達とここだけのエピソード

私は、5日間きせんワールド坂井社長、鳥山ディレクターと一緒に各地
 講演会を回りました。
 
 福岡では、海産物の卸で有名な大川社長の知人、友人がたくさん集まり講
 演会が開催されました。講演会後に、坂井社長、鳥山さん、私と篠田を食
 事に誘ってくれました。私は大川社長と初対面だったものですから少し緊
 張していましたが、とても気さくでと話しやすい方でした。

 少しだけですがつっこんで話をできるぐらいになりました。夜遅くにご自
 宅にも呼んで頂きました。
 
 家に入るとすぐに大川社長は、『使わないから』と私にコートをくれたの
 です。大川社長は、私だけがコートを持っていないのを見てそういってく
 れたのではと、大川社長のお心づかいがとてもうれしかったです。

 保養施設プロジェクトの参考にと「○○病院を見ては」と言うアドバイス
 も頂き、何から何までお世話になったなーと感じました。

  大分では、代理店の岡野さんが主にお客様を集めてくださいました。
 岡野さんは、5年前にきせんワールド坂井社長に出会い、タヒボに興味をい
 だき感動して、今ではタヒボの普及活動をされている方です。

 岡野さんはとても勉強熱心で、行動力のある方でいつも一軒一軒皆様の所
 を回っているそうです。

 タヒボと水(高解離プロトン水)を広めようと思ったきっかけは、

 「皆様に喜ばれる事、これ以上の科学的データがそろっているものは他
 にはない」
 と思い、始めたとおっしゃっておられました。

 講演会後に、温泉施設病院をされている先生に「タヒボを伝えたい」と
 いう岡野さんの思いで、皆で先生にお会いしました。先生は、波動とい
 うエネルギーに興味をもち、髪の毛から波動を測定して臓器の異常、ガン
 があるかがわかる700万円する機械をお持ちでした。

 またその機械で免疫力を測る事ができ、私達も測定をして頂きました。
 平均値は5?8で、私は17でした。続いてきせんワールド坂井社長はなんと
 22という異例の数値がが出たのです。

 これは異例中の異例らしく、今までの最高は21。それを上回る数値に先生
 もびっくりされていました。やはりタヒボ歴が長いからではないかと思い
 ました。岡野さんは、先生に会うといつも波動の話を聞かされるそうです
 が、どうしても先生にタヒボと水の真実を知って頂きたいとこれからもタ
 ヒボ、水を理解して頂けるよう頑張り続けるとおっしゃっていました。

  岡山では、以前ニュースレターでもご紹介いたしました、美容院を経営
 されている服部先生の主催で「タヒボ会(懇親会)」が開催される事とな
 りました。服部先生は、タヒボの普及活動をしていて

 『正しいと思うことは、人にどう思われようが伝える』と言われます。
 とても印象に残った言葉でしたし、先生の強い気持ちが伝わってきました。
 先生の思いは、人を勇気付ける言葉になるのでいつも圧倒されます。

 美容室に来られるお客様がアトピーで悩んおられ、先生は躊躇せずにタヒ
 ボを勧めたそうです。その方は、お金が続かなかったようでタヒボを飲む
 のを途中で辞めたそうです。

 そのかわりボーナス時に水(高解離プロトン水)を購入され、また調子が
 よくなっているようです。普通、地域密着型美容室でお客様にあれもこれ
 もと勧めにくいのではと思います。

 何故なら『あそこに行ったら勧められる』という噂と隣りあわせだから
 です。服部先生の場合は、それが相手のためにという強い気持ちがある
 からこそ、ためらいもなく勧め、相手はそれを信じ、よい結果がたくさ
 ん出てきているのです。

 そんな服部先生が懇親会後、きせんワールド坂井社長に
 『いつも来ていただいたらパワーを頂けます。ありがとうございます。』
 とおっしゃっているのです。きせんワールド社長は、服部先生より更に
 パワーの持ち主なんだなーと思いました。
 
 各地でタヒボの輪を作っている大川社長、岡野さん、服部先生は、とて
 も純粋で行動力のある方々でした。
 その輪の源は、きせんワールド坂井社長であり、鳥山ディレクターでした。
 
 人と人が信頼して奇跡を生む、それには熱意と純粋な気持ちがあればなん
 でも達成できると思わせてくれた5日間でしたし、素晴らしい仲間たちが
 いるからこそ、この「タヒボ会」が有意義なものになり、これからもタヒ
 ボの輪が大きくなり花を咲かせることができるのでしょう・・・

どん底から人生を変えた支社長の話

きせんワールド坂井社長のご友人が、某生命保険会社の支社長になられ関西で就任パーティーが開催されました。私も出席させていただきました。私は、子供の頃に支社長に何度かお会いしていたそうですが、まったく覚えてはいませんでした・・・。

パーティーには100人ほどの方がご出席されておりとても盛大なパーティーでした。
初めに支社長がとてもソフトな話し方でご挨拶をされました。その次には来場者代表として、きせんワールド坂井社長がスピーチをされました。スピーチの後には太鼓の演奏が始まり、生の太鼓の音にすごい迫力、心の芯まで響く力強い音色にとても興奮し、太鼓をたたいている姿に目が釘付けになりました。興奮冷めやらぬまま会食をしました。

パーティーが終わりを迎えるころに支社長のスピーチがありました。支社長はとてもソフトな話し方で保険の説明をされ、最後に「今日お越しの皆様は、ご契約をされなくても結構です。ですが、お一人を必ずご紹介下さい。」と言っておられました。私なら絶対に「皆さん必ずご契約下さい。」と話すのでこの言葉はとても印象に残りました。きせんワールド坂井社長は「あのソフトな話し方で『ご紹介下さい』と言われると、『紹介しよう』と思うなぁー」と言っておりました。

パーティー終了後に、会場のホテルの中にある社長室にお招きくださいました。社長室には何百人というスタッフの名前が書いてありびっくりしました。
部下は支社長よりも10年先輩で、皆さん関西のエリートといわれている大学出身。始めからポストを用意されている様な方々で、その中、何故学歴のない支社長がなれたのか。支社長は『ダントツの成果を出す事だ!』とおっしゃっていました。某保険会社に入る前は車の整備工場で働いていたそうです。それから自分で事業を起こし独立されたのです。しかし失敗し、借金を抱えてどうしようもない時代に、奥様が車を売って借金の返済を手伝ってくれたそうです。その時代は奥さんのお世話になってばかりだったとおっしゃっていました。その後、某生命保険会社に入社されて何十年後に、全国2400人いらっしゃる社員の中でトップの成績になり、支社長に就任。今まで学歴重視だった会社の体制が、支社長のパワーで変わったそうです。支社長のパワーはそれだけでなく、支社長に就任後、2ヶ月で支社の中でいつも下のほうから数えた方がはやい成績が、全国で支社の成績が1番になったのです。

また、支社長がお客様の会社に18日間連続で足を運ばれたお話しにもびっくりしました。18日間お客様に会いに行き、18日目に初めてお話を聞いてくださったそうです。そしてその社長に協力をする為、支社長はご自分のお客様をご紹介されました。この支社長が作った出会いにより社長の事業は大きく発展されたそうです。支社長の行動力がお互いを引き合わせたのだと感じました。それからは、毎月何百万もの保険料を何十年間もお支払下さっているそうです。支社長は「よくギブアンドテイクと言うが、ギブアンドギブで人に与え続けて喜んでもらわないといけない」とおっしゃっていました。

心から何とかしたいという思い、情熱、根性がなければ、耳も貸さないお客様の所へ18日間も通えないですし、出来ない事だと思います。信念で一日一日の積み重ねがあったからこそ予測出来ない成果をもたらしたのだと思いました。
私は、きせんワールド坂井社長が支社長と昔からの友人で、今まで大事に付き合いを続けていたからこそ、絶対に近づけない存在の支社長とお話が出来、いろいろな話を聞けた事に感謝です。
 
頑張れば素晴らしい事がきっとあると感じた一日でした。

P.S.
6月に200名入る会場をご用意してくださり支社長主催で、きせんワールド坂井社長が健康についてのお話をされる事がほぼ決定致しました。

地ビール世界一の社長の話を聞いて

3月に地ビールで世界一になった会社 二軒茶屋餅角屋本店の鈴木さんの話
を聞く機会がありました。鈴木さんは、大学から空手を始めて主将になり、全
国大会準優勝の実績をもっておられる方です。私は大学から空手を始めたのに
すごいと思いました。鈴木さんが言うには、『本当に私は空手が好きで空手バ
カだった!毎日全体の練習が終わってからも練習をしました。練習は人一倍し
ていたね』とおっしゃっていました。当時は練習のしすぎで体に過度な負担が
かかり、血尿がでるほどだったそうです。

そんな鈴木さんは、『5年で世界一の地ビールを作る』という目標を設定されま
した。鈴木さんいわく、「夢に期限をつける事で、夢が目標になる!期限の無
い夢はただの妄想だ!」とおっしゃっていました。

鈴木さんは、自分の作った地ビールを世界一にするためにまず、世界各国のビ
ールの味を知らなければならないと、難関といわれるビールの審査員試験にチ
ャレンジをされました。鈴木さんは1年間、空手が終わってから毎日研究室に
閉じこもって大好きな微生物の研究にエネルギーを集中させており、研究室で
寝起きをする事もあったそうです。ビールの審査員試験の内容が、鈴木さんが
研究をされていた内容と関係が深く、見事学科試験を最高得点でクリアされた
そうです。

この難関と言われる試験に見事合格し、ビールの審査員になられました。そこ
で世界のビールの味、業界のあり方を実感したかったそうです。

そしてアメリカで世界大会が開催された時には、日本人は審査員に二人選ばれ、
その内の一人が鈴木さんでした。アメリカの大会では、当時英語にはあまり自
信がなく、大会前の打ち合わせで全くといっていいほど理解できなかったよう
ですが、『私はビールの味を審査しに来たのだから英語が話せない事はそんな
に気にならなかった』と言われました。大会では世界の味を感じ、また、終了
後同室の方との会話も貴重な体験だとおっしゃっていました。同室の方はとて
もビール作りにこだわっている他国の審査官でしたので、鈴木さんが長年疑問
に思っていた事を質問してみると、一瞬にして答えが返ってきたそうです。

このような経験から鈴木さんは、『国税局から競争相手、異業種までも味方に
した方がいい』とおっしゃいます。それは、たくさんの本を読むより、専門家
に聞くことで一瞬のうちに答えを得られる事が非常に多いからだそうです。

会社のスタッフには、『世界一の地ビールを作る。』と言い続け、そしてつい
に6年後、オーストラリアで行われた世界大会で金賞を取り、世界一の称号を
獲得したのです。

私は、鈴木さんの講演でとても心に残る事がありました。
一つ目は、目標を立て、その目標を実現した状態から今の自分を見て計画を立
     てる。
二つ目は、『気合』があれば何でも乗り越えられる。
三つ目は、自分のしている事が、寝ても覚めても好きでいれるか
四つ目は、何事にも素直な態度で接している姿(謙虚)です。

当たり前の事ですが、私はとても心に残りました。
世界一を獲得する方も基本的な事を非常に大事にするのだなーと思いました。

講演が終わってからラッキーな事に夜中まで鈴木さんを囲み、8人でお話を聞
ける事になりました。実は、講演会後鈴木さんを囲み懇親会があったのですが、
鈴木さんは女性陣に囲まれていてほとんど質問が出来なかったので、懇親会が
終わり私は帰ろうとしていました。するとこの講演会のきっかけを作ってくれ
たタヒボ茶の代理店をしている昭和法規の川田君に『何人かで集まって飲みな
おすみたいやで』と言われ、私はまたみんなで会えるし、時間も遅かったので
『鈴木さんが行くなら行くわ』と言って別れて駐車場に向かいました。

すると電話が鳴り、鈴木さんも一緒だからと言うので行く事にしました。私は
走ってみんなの元へ向かいました。すると、真珠のデザインの仕事をしている
谷さん(兄貴みたいに何でも話せる人です)に『鈴木さんが来るっていうから
って・・・』と言われましたが。

 確かにちょっと後ろめたかったのですが・・・。講演会で質問できなかった
事が隣で質問できたので本当にうれしかったです。
何があるか本当にわからない。だから幸せもどこからやってくるかわからない。
その幸せをどんどん感じるためには、積極的思考が本当に大事だと鈴木さんと
お話しをしていて感じました。そしてこのような機会を与えて下さった方々に
感謝すると共に、感謝の気持ちを持つことがとても大事なのだと感じました。

P.S.
昭和法規の川田君に『鈴木さんが行くなら行くわ』と言えたのは、彼とは本当
に仲がよい友人であったことと、自分が素直に思っていたことを口に出来た積
極的言動だからだと思っています。何気ない一言で本当にこの日は学ぶことが
たくさんありました。

『思い、信念が不思議な縁を作る。』

株式会社ふぅーが設立され、『がんで戦うもの同士励ましあい、つどえる場所があればいいのに・・・』というタヒボ愛飲者の声をきっかけに代替保養施設「ふぅーくるぶ」のプロジェクトが始動し始め、私が関わりを持つ中で感じたことでした。

現実的にこのような壮大なプロジェクトを可能にするには、莫大な資金が必要になってくるのではないかと客観的に見ていて不安でしたが、「人生何があるかわからない」、思いがあれば資金の心配などいらないのではないかと思いなおしたのでした。ですから初めの不安も今はあまりありません。

そう思わせてくれた出来事の一つは、東京のタヒボ会に『がんの図書館』の館長さんが来て下さいました。館長さんが代替保養施設プロジェクトに賛同いただき、プロジェクトに賛同いただける方をご紹介してくださっているのです。

また、東京のタヒボ会後、タヒボのご愛飲者の丸原さんとお会いすることになっておりました。丸原さんのご主人がお亡くなりになり、スタッフがお宅にお伺いした時、丸原さんは以前に病院の婦長さんをされており、その経験から現在ボランティアで病気に苦しむ方へのカウンセリングをされている方だと知りました。

プロジェクトの話を聞いた丸原さんが『力になれることは手伝います。』と『代替保養施設プロジェクト』に賛同してくださったのです。そして今回お会いすることになったのでした。

丸原さんに初めお会いした時には、何をどう話していいものか言葉が出ませんでした。それは、丸原さんのご主人様が亡くなったからです。一緒に食事に向かうタクシーの中でご主人の事に触れました。私は『体調がよくなってもらえなくて』と言った時に、スタッフの丸原さんのご主人に対する思いと丸原さんのご主人に対する思いが私の頭の中をかけめぐり、ぐっとくるものがこみ上げてきました。

丸原さんはそんな私に、『主人がきっとこの出会い、縁を財産として残していってくれたのだと思う。』とおっしゃってくださいました。私がご主人の事に触れ、そう言ってくれた丸原さんに、少し気持ちが楽になりました。

この丸原さんとのご縁もスタッフが「お宅にお伺いをしてご冥福をお祈りしたい」という思いがすごく伝わってきたからです。私は会社が大阪でご愛飲者が東京でしたので少しためらいましたが、スタッフがなんとかしたいという思いで頑張っていたことを思い出し、私は行ってあげてくださいとスタッフに言ったこから生まれたものでした。

私はどこでどうつながるか不思議なものだと思いました。
本当に何が起こるかはわからない。思い、信念が思わぬ奇跡を生むのだなと感じた1日でした。