肺がんを克服した物語

埼玉での取材を終えた後、翌日には静岡へと向かいました。
それは、肺がんを克服した黒田さんを取材するためです。

黒田さんは、学校の教師をされておられ、その時の健康診断
で、肺がんと判ったのですが、病院での治療は一切、何も
せず、ご自身でがんを観察
されていたそうなんです。

すると次第に、体中に痛みが出てきて、頭もひどく痛みだし、
このままではいけないと思い、本格的に代替療法を実践
れたのです。

その実践された代替療法は、14項目あります。
下記が黒田さんよりいただいたメールです。

 ・・・ここから黒田さんより頂いたメールを抜粋・・・・

昨日の肺ガン自力克服について取材でお話しした件を、私な
りに、もう一度まとめて見ます。私が取り組んだ内容です。

何としても肺ガンを治してみせるという強い信念と希望を持
って取り組んだことが良かったです。
ガンは確かに怖いですが、その恐れに負けたら絶対に自力克
服なんか不可能です。

 20代初めより研究してきたガン克服の首実検(くびじっ
けん)が見事成功した感じです。
私は、現在いかなるガンでも、何も怖くありません。
治せる自信を持っているからです。

 私が取り組んできたことを整理します。14項目あります。
(詳しくは、取材CDを聞いて頂いた方にお伝えする予定です。)
          ・
          ・
 以上が、肺ガン自力克服のために私がやったことですが、
これらは、スケジュ?ル表を作り実行しました。
これだけやるとなると、なかなか大変だからです。

 いろいろやったので、どれが良かったのか判りませんが、
私は相乗効果を狙ったわけです。
それは、良いと言われる物を一つだけやっても期待ができず、
運任せになると思ったからです。

 ガンのような剛病は色々な方法をやらないと、確実な効果
は期待できないと信じています。

 ・・・ここまでが黒田さんより頂いたメールの抜粋・・・・

続きは、がんを克服してきた人達の物語での取材CDとして
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がんを克服してきた人達の物語での取材CDとは

乳がんを克服された女性の方を取材させていただきました

箕輪さんの取材後、箕輪さんから、乳がんを克服された女性
の方を紹介していただきました。
今回は、その取材内容の一部ですが、お話したいと思います。

田中さん(仮名)は44歳の時、がんセンターに行き、乳癌が
判ったそうで、片側の乳房を取らないといけないとお医者さ
んに言われました。

しかし田中さんは、絶対に手術で乳房を取りたくないという
強い意志から、手術、入院を一切断ったのです。

すると、医者から3度も自宅に電話がかかってきたそうなの
です。その話の内容は、このようなものでした。

「このままでは、半年後には知りませんよ」
(これでもかなり表現を和らげています)

田中さんはひどくショックを受けたそうです。
しかし、それでも絶対に手術をしたくなかった田中さんは、
手術をしなくても良い方法を必死に探し回りました。
違う病院でも診断をしてみました。(セカンド・オピニオン)

そして、遂にこれだ!と思える食事療法の先生に出会うこと
ができ、「本気で取り組めば治る可能性がある!」というこ
とが判り、民間療法で治すことをそこで決心されたのです。

田中さんは、手当て療法、食事療法、野草などを使った治療
を、毎日、家事をこなしながら、必死に取り組みました。

そして、遂に医者から言われた半年後、、、「しこり」が小
さくなっているのに気付いたのです。

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がんを克服してきた人達の物語での取材CDとは

抗がん剤でも効かなかったリンパ癌を克服

取引先の方より紹介をしていただいた、埼玉県にお住まいの
癌(がん)を克服した方を取材する事が出来ました。

取材にご協力してくださったのは箕輪さんです。
箕輪さんは39歳の時、首の周りにしこりがあったため、
病院で診察をしてもらうと、リンパ癌と診断され、
放射線治療をされたそうです。
その放射線治療で、一旦はがんを克服されたのですが、
首の周り、腹部、そけい部などに再発してしまったのです。

しかし、再発してから、抗がん剤を繰り返し、繰り返し行っ
ても、一向に良くならなかったため、その時、がんに対する
考え方を改めたそうです。それは、

『がんというものは「現象」にすぎず、
 「現象」をいくら攻撃しても無駄なことであって、
 「現象」を作り出す原因を探り、
 その原因に向かって治療をしないといけないのだ。』

というもので、そのような思いになってからは、医者には一
切かからなくなったそうです。

その後は、自分の体なので、自分で調べようと思われ、徹底
的に自分の体を見つめる治療が始まったのです。

もう、話を聞いているだけで、がんを克服するために、ここ
まで考え方が変わるのだと、驚き、感心するとともに、ご自
身の健康状態を知るための努力と、その努力からくる絶対的
な自信は、本当に聞いていて感動しました。

詳しくは、がんを克服してきた人達の物語での取材CDとして
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がんを克服してきた人達の物語での取材CDとは

がんを克服してきた人達への取材の旅は、今回3人の方々とお
話しする事が出来ました。
次回は、乳癌を克服された方を少しご紹介したいと思います。

「道は近きにある」を実践

「自分の道を信じる挑戦者達」シリーズに、紳士・婦人服を10店舗
経営している?あさひやの小椋会長の事を掲載したいと思い、お話を
お伺いしに行きました。

小椋会長は、18歳から仕事を始められ、住職の息子さんと一緒に
地域の子供たちの為に、ボーイスカウトを20歳から40歳までの
20年間続けられ、ボアランティアでする事がとても大きく役に
立ったと教えてくださいました。

ボーイスカウトはお金をもらってやるものではないし、子供達も
お金を払って来ていたわけではないので、
「約束を守らなければいけない」、「必ず来ないといけない」
などの義務もなく、すぐに来なくなってしまうのです。

しかし、自然体で子供達の心に向き合う事が出来たし、一緒に
楽しく学ぶ事を常に考えていたとの事でした。
その結果、子供の数も口コミにより70人を越えるまでになった
そうです。

その教え子と友達がお店に遊びに来るようになり、5年後には
小椋会長(?あさひや)のもとで社員となり、さらに店長となり、
あさひやの社長にまでなられたそうです。

しかも現在のあさひや社長の親友が、東京の服飾関係の会社に
勤めている事を聞いて、小椋会長は夫婦で、転勤先の仙台まで
会いに行き、そこで話した事がきっかけとなり、ショッピング
モールに出店している店舗の店長を任されたそうです。

小椋会長の取材中に教えていただいた「道は近きにある」という
言葉がありました。
その言葉どおり、身近な方を大事にしてきた事で、これまでの経緯
があったのだと、とても説得力がありました。

そして、もうひとつ印象に残った言葉は、「相手の事を信じきる」
という言葉でした。「相手の事を信じきって話をする。」、
「相手の存在を受け入れる。」、「相手の心に話しかけるんだ。」
と教えていただきました。

「道は近きにある」、「相手の事を信じきる」これを実践してこられ
た小椋会長は、出会った方の心に問いかけ、人を信じきって任せる事
により、一つ一つを実現してこられたすばらしい実業家だと強く感じ
ました。


癌を克服した広沢様の話を聞いてからの行動が偶然のはじまり

乳ガン・リンパ癌(がん)を克服した広沢様が電話取材にご協力して
くださいました。今回は私が取材をせず、スタッフが取材を行いました。
そこで、どのような事を広沢様がおっしゃられていたのかを聞いてみ
ると、癌(がん)だと病院で判った帰り道に、ショックを受け不安な
気持ちで帰られたのではなく、今生きている事のすばらしさに、見る
物すべてが光って見えたということでした。

病院の先生からの「5年以上生きている人もいます」という言葉に
“自分はその生きている人に入ろう”と思い、当社でプレゼントした
取材CD「がんは治った!ありがとう!」を聞いたときも、
“私は、この「治る」人たちのなかの一人になる”と決められ、
積極的に行動するようになったとの事です。
(詳しい取材内容については、ニュースレターで掲載予定)

広沢様のお話をすべて聞き終えたとき、私は体が震え、とってもうれ
しい気持ちになりました。そして、取材CDの製作にご協力を頂いた
宮脇さんに心の中で「ありがとうございます」と感謝をしました。
この喜びはふと、先祖の墓前に報告しに行きたいと思いましたので、
会社から車で20分ほどの場所にある墓地まで行ってきました。

そのお墓参りの後、妻の母親がコーヒー好きなので、母の日が近い
という事もあり、会社から徒歩2分のカルフール(ショッピングモール)
に行ってきました。

コーヒーの種類は、「ブルーマウンテン」が好きと言う事を聞いて
いましたが、売り場によっては味も違うし、値段も100グラム780円から
2000円と幅が広いのです。
妻の実家に持って行くのですから、おいしい方が良いし、どれにしよう
かと迷っていました。
普段ならあまり迷う事がないのですが、コーヒーの味についてはあまり
違いが判らないと言うのが正直なところで、「なんとなくおいしい!」
というくらいなのですが、せっかくのプレゼントですので、味見をして
「おいしい」と思うものを購入することにしました。

店内は7席ほどあり、コーヒーも色々な種類があり、通常100グラム
2000円もするブルーマウンテンの初摘みが、なんと525円と手ごろな
価格で販売されていました。
どのような味なのかとても興味がありましたので、注文してみること
にしました。
しかし運ばれてきたコーヒーは、私が検討していたもう一つの違う物!
それを言うと、新たにコーヒーを作り直すまで、この間違えて作ら
れたコーヒーを私の他にも一緒にいたお客さんも試飲することがで
きたのです。
コーヒーは妻の家で飲んだ事がある味に近いと思うものを無事購入する
ことができました。

そして、飲み終えて会計をしているところに、10年ほど前お世話に
なっていたのですが、全くこの間お会いしていなかった社長がフッっと
私の目の前を通ったのです。
私は、会計中にも関わらず声をかけ、その後、久しぶりにお話する事が
できました。

そこで、現在どのような仕事をしているのかなどの話をしながら、
名刺交換すると、その社長は、日本とオーストラリアの橋渡しの協力
などもしている事を知りました。

現在、当社ではオーストラリアの商品をオーストラリアのメーカーに
直接話をし、輸入までこぎつけたのですが、商品が税関でとまってい
る事を話しました。

すると、社長は
「私に言ってくれていたらよかったのに」と言われるのです。
何故なのか聞くと、オーストラリアの商品・サービスの流通に現在何件
か携わっているとの事だったのです。
しかも誰もが知っている航空会社、商品などの流通です。
もう悪戦苦闘していた輸入に関して、なんとかなるという希望の光と
安心感をそこで得ることができました。

この1日の間に嬉しいと思ったことが5つ!
 1、広沢さんがガンを克服した事について取材できた事
 2、「がんは治った!ありがとう!」取材CDの宮脇さんの思いが、
   伝わっていると感じれた一言
 3、コーヒーが2種類飲めた事
 4、昔お世話になった社長に会えた事
 5、現在滞っているオーストラリアからの輸入に関して安心感を
   得た事

どれも、偶然で心の声のままに従って動いた結果でした。