どのような立場でがんの方に希望をもってもらうのか?

最近、色々と本を読んだり、人の話を聞いたりすることで、
迷ってしまう事があります。
『ガンに打ち勝つ患者学』グレッグアンダーソン著の書籍には、
「がんから生還した人の96%以上が西洋医学を土台としてき
た治療プログラムから始めた人達である」と書いてありました。

ガンに打ち勝つ患者学―末期ガンから生還した1万5000人の経験に学ぶ

土台としてきたというので、現在日本で行われている医者任せ
の治療とは異なるかもしれませんが、私の知らないところでは、
そのような事実もあるのだと驚きました。

私は本を出版したいと考えています。そして先日、本の出版や、
編集に携わる方にお会いする機会があり、お話しをさせていただ
いたところ、「どのような立場で本を書きたいのか?」
という事を聞かれました。

私は、どんな状況であっても西洋医学・東洋医学の良し悪しを
判定せずに、ただ希望を持ってもらいたいという考えなのです。
それは、自分の考えを押し付けるのでは無く、気付きや、希望
をご本人に持ってもらうという事です。

そのためには、健康を勝ち取るのにどのような方法が良いのか?
どのようにしてがんを克服できるか?などを考えてもらい、が
んを克服した人達から学んだ体験談、直接その人にお会いした
感覚をお伝えする事がとても大事だと思っています。

私自身は、がんを経験していませんが、がんを治すためにはど
のような方法があるのかという事には、真剣に情報収集を行っ
ています。
がん克服のための情報に関しても、「もっとたくさんの情報が
欲しい、教えて欲しい」と思っています。

上記のような内容のメールを、ガンを克服した方にお送りする
と、『山で野草の散策などに行かれてみては?』というアドバ
イスをいただきました。
私の住んでいる箕面市には、大きな山がすぐ目の前にあるので、
近々行ってみようと思っています。

玄米菜食の日替わりランチ 【東京都板橋区編】

健康産業流通新聞にブラックジンガーを扱っているお店で、無農薬野菜を中心に
食事も楽しめる場所を見つけたので行ってみました。

お店には、13時頃に着きました。店内は、ご近所の常連さんと思えるような方で
カウンター席が5席埋まっていました。残り1席空いていましたので座り、
日替わりのランチを注文しました。

今日のランチは、

自然食 健康食の店 穀’s CAFE

自然食 健康食の店 穀’s CAFEの味噌汁

★きゃべつと豆腐入りポテトコロッケ
★ひよこ豆のサラダ
★割り干し大根の田舎煮
★冷製茶碗蒸し(茶碗蒸しに寒天、ミョウガ入り)
★味噌汁
★発芽玄米・十穀米ご飯の合わせ盛り これで900円

とっても冷製茶碗蒸しは食べやすく、おいしかったです。
玄米もとってもやわらかくふっくらと炊き上がっていました。

食後にはオーガニックのコーヒーを頂きました。

お店では、肉類は一切使用せず、大豆たんぱく豆腐・有機野菜を使用している
そうです。

店主さんもとっても話しやすく、明るい方で常連客の方が集まるのがとっても
わかりました。

場所は、東京駅から60分ほどです。

〒175-0092 東京都板橋区赤塚2-9-16
東武東上線 下赤塚駅 北口 徒歩3分
自然食 健康食の店 穀’s CAFE
営業時間am11:30-pm7:00
電話03-3930-3740 定休日 日曜 祭日 第三土曜日

ホリスティック医学会長 帯津良一先生への取材

帯津先生に取材のため、埼玉県にある帯津三敬病院に行ってき
ました。帯津先生には、がんの方に対して知ってほしい事という
テーマでお聞きし、その中でホリスティック医学についてのお話を
お伺いする事が出来ました。

ホリスティック医学の定義として、

1.ホリスティック(全的)な健康観に立脚する
人間を「身体・心・気・霊性」等の有機的統合体ととらえ、社
会・自然・宇宙との調和に基づく包括的、全体的な健康観に立
脚する。

2.自然治癒力を癒しの原点におく
生命が本来自らのものとして持っている「自然治癒力」を癒し
の原点におき、この自然治癒力を高め、増強することを治療の
基本とする。

3.患者が自ら癒し、治療者は援助する
病気を癒す中心は患者であり、治療者はあくまでも援助者である。
治療よりも養生が、他者療法よりも自己療法が基本であり、ラ
イフスタイルを改善して、患者自身が「自ら癒す」姿勢が治療
の基本となる。

4.様々な治療法を総合的に組み合わせる
西洋医学の利点を生かしながら、日本を始め、中国、インドな
ど、各国の伝統医学、心理療法、自然療法、栄養療法、食事療
法、運動療法、民間療法
などの種々の療法を総合的、体系的に
組み合わせて、最も適切な治療を行う。

5.病への気づきから自己実現へ
病気を自分への「警告」と捉え、人生のプロセスの中で、病気
を絶えず「気づき」の契機として、より高い自己成長・自己実
現をめざしていく。

(帯津三敬病院のホームページより抜粋)

ホリスティック医学の考えの中で、患者さんへ心の部分でアド
バイスをする時に『明るく前向きに』という事を伝えてきたが、
それだけでは思うような結果が出なかったと言われていました。
人の感情の中には、悲しみ、寂しさなどの感情もあり、その気
持ちを無視して、無理に『明るく前向きに』を行ったとしても、
人間本来が持つ、心のバランスを保つ事には繋がらないという
事に気付いたそうです。

その結果、現在では、心に『ときめき』をテーマに希望を持っ
てもらえるように、患者さんとのコミュニケーションをとって
いるということでした。

他にも、『医師と患者の場のエネルギー』『幕内式食事療法の
粗食から、心のときめきを取り入れた考え方』『治療の進め方』
などの話をお伺いする事が出来ました。
取材時間は1時間でしたが、とっても充実した内容で、あっとい
う間に過ぎてしまいました。

帯津先生の印象は、とっても穏やかで、話しやすく、がん治療
に関しては、あらゆる手段を使って、患者さんの事を考え、取
り組んでいらっしゃるのだと思いました。

それは、がんに対して、抗がん剤、放射線、手術、ホメオパシ
ー、気功、サプリメント、食事療法、心構えと、どれもが、が
んに打ち勝つ第一歩
であると考え、患者さんの状態を確認し、
相談しながら、それらの治療法を選択されておられるからです。

また、これらの療法は、長年の経験から、有効であるものを取
捨選択してこられた結果なのだと感じました。
1つの治療法だけに拘り、絶対にこれしかないというような、
強制的なものでは無く、良い物は取り入れていこうという柔軟
な姿勢
の現れかと思います。

そして、治療は、あくまでも患者さんが主体で、患者さんが望
まなければ無理に行わず、患者さんが治療として取り入れたい
と希望される事を中心に行い、患者さんとの二人三脚で、がん
に打ち勝つ戦略を立てながら進めていく
というお話でした。
帯津先生であったら本当に相談しやすい事だろうとその時に思
いました。

帯津先生への取材内容は、テープ起こしが完了しましたら、
「がんを克服してきた人達の物語」のホームページに掲載していく
予定です。
ただいま準備中のため、メールマガジンのご登録をしていただ
きますと、ご用意が出来た時にはお知らせできます。

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乳癌であっても快方に向かう方法はある

「乳がんで、全摘出手術を断り、現在癌と相談しながら身体の
バランスを取り戻しています。」とお電話を頂戴した谷村さん
を取材してきました。

谷村さん、ご主人の仕事がうまくいかなく、何年も毎日、毎日
お金で悩み続けて、がんを発病してしまったそうです。
がんを発病したのは2年前で、現在も腫瘍がある方です。

私は、がんを克服した方のみ取材していこうと決めていました
が、がんであっても2年間、手術、抗がん剤、放射線をせず
向き合っている事を多くの方にも知ってもらい、そして「少し
でも役に立ちたい」という熱い気持ちを谷村さんに伺いました

ので、その思いにお応えできればと思い、今回、関東まで
取材に行ってきました。

お会いするととっても明るく元気な方という印象を受けました。
谷村さんが、発病する前は、ご主人に対して責める気持ちが膨
らみすぎ、何を言われても笑顔が出ず、食事もお金の心配から
夜の一食のみで、しかもおかゆだけという生活が続いたそうです。

そうこうするうち、胸にしこりができ、その痛みから、診察に
行くと、2?3センチの大きさで、ステージ初期の乳がんだった
そうです。
しかし、摘出するのに非常に困難な場所という理由から、お医
者さんは全摘出手術と診断されたそうです。

そこで谷村さんは、病気の原因を考えたそうです。
谷村さんは、以前から病気になるのは、必ず自分自身に問題が
あるからという考え方
だったそうなんです。

そして、がんと判り、まず始めに考え方を変えたのが、ご主人
への接し方でした。
今までは、悪い部分しか見えなく、お金の不安ばかりで、お金
を持って返ってこなければ、喧嘩ばかりしていたそうなんです
が、ご主人の家族思いの良い部分を見るように努力されたそう
です。その良い部分を見る事により、ご主人の「おはよう」の
挨拶にも応えられるようになり、次第に家族全員で話し合いも
するようになったそうです。

谷村さんは、手術、抗がん剤、放射線をしない事を決めていま
した。そこで手当て療法、ハーブを飲用、導引術、半身浴、
日本では手に入りにくい熟成製品、食事は肉、魚、卵の摂取量
はかなり低いですが、基本的には満遍なく食べるように心がけて
いらっしゃたそうです。その方が宇宙の理にかなっているように
思えるからだそうです。

どの方法も自分の身体に聞きながら、あらゆる療法の実践を
繰り返されてこられました。

やがて、乳房の中にあったがんが、表面に出てきたのです。
表面に出てきて、出血し、今では体液が出てきて、わずかに出
血している状態だそうです。
がんも徐々に変化をしてきているのです。
最初の診断より2年が経過した現在、体調はいたって健康だそ
うです。

手術をしなくても、お金がなくても、快方に向かう方法はある
谷村さんは言います。
何か必ず、がんを治す方法があり、考え方を変えるだけで良い
方向に向かっていくんだ
、という事を今日は、谷村さんから伺
いました。

取材は3時間にもおよび、その後、食事までご馳走していただ
きました。
「人のご縁は、どこからくるかわかりませんね」という話をし
ながら、一緒に食事ができ、本当に谷村さんの温かさ・人柄に
触れ、この方は絶対に治ると確信がすることが出来ました。

谷村さんには、前回取材させていただきました井伊さんに谷村
さんのような方がいらっしゃるので、どのような治療をすると
さらに良いと思うかをお尋ねしました。
井伊さんは谷村さんのために、「手当ては、ビワだけでなく、
ドクダミや、今が時期の物を使うとさらに良い結果が出ますよ」

と教えて下ったお声をCDにしてプレゼントさせていただきました。
次の日にはとっても喜んでくださり、お礼のお電話をいただき
ました。

このように、人の喜び、ご縁は本当にどこからやってくるかわ
からないですし、予測がつきません。
ただ一つ言える事は、思ったら行動し、実際にお会いしてお話
しをすることだと思います。
本当にお会いできて良かったなと思った出来事でした。

谷村さんについての詳しい情報は、がん克服のホームページに
掲載していく予定です。
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出会い・歌によって!がんに負けない生きてきた証!

テレビ局の福祉活動の取材を重ねている方に甲斐さんを紹介して
頂きました。

甲斐さんの職業は、シンガーソングライター兼、小説家です。
12年前、診断は膀胱ガンでした。中期の初めでした。
その時甲斐さんは42才。しかし、甲斐さんは、中国全土50カ所で
アコースティックライブを敢行。演奏旅行の途中に立ち寄った集落で、
勉強をしたくてもできない貧しい子どもたちと出会いました。

甲斐さんは子どもたちのために「何とかしたい!」と思い、小学校を
建てる決意をしました。小学校建設に必要な資金は600万円。

日本へ帰国後、甲斐さんは稲穂之民プロジェクトを設立。
チャリティCD「Dear Children」を自作、その売り上げで資金作りを
始めました。その間にも、1年に1回ほどのペースでポリープが見つ
かり、抗ガン剤治療が続きました。計6回の手術をされました。
しかし、やがて膀胱の感覚が麻痺。小便ががまんできなくなったた
め、甲斐さんは抗ガン剤治療を打ち切ることにしました。
その後は代替療法を行いました。

しかし、7回目となる緊急手術が行われることになります。ポリープ
が尿管の内側に複数見つかったため、尿管を途中で切断し患部を尿管
ごと切り取ったうえ、再びつなぎ合わせるという大手術。これまで
6回のポリープ除去とは違い大がかりなものとなりました。

レコーディングを中断し手術を受けた甲斐さんは、翌日には腹部を
さらしでぐるぐる巻きにしてスタジオに戻ります。不屈の闘志、
そんな言葉では片付けられない、まさに生きた証を残すための
自分自身との闘いでした。

 その後も甲斐さんは、全国各地、求める人がいればどこへでもで
かけて行き、ボランティアで歌い続けました。

4年前に最後のガン摘出手術をしてからは再発もありません。
しかし、常に再発の不安と背中合わせの甲斐さんは言います。
「ものは考えようでしょ。くよくよしないで、なった以上はつき合う
しかないでしょう。また出たら切りゃいいんですよ」と、あっけらか
んと答えられます。

続きは、がんを克服してきた人達の物語での取材CDとして
お配りします。
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がんを克服してきた人達の物語での取材CDとは

甲斐完治さんが行っている稲穂之民プロジェクトとは

甲斐完治さん 
1976年、ヤマハポピュラー音楽 コンテ スト全国大会入賞。
        大阪でテレビ制作会社に勤務の後、飲食業、
        製造販売、銭湯経営など様々な職業を体験。
        その後、CM制作会社を設立。
  
  1980年代、テレビのタイトル音楽,CM音楽を手がける。
       CMで2年連続ACC賞受賞する。
  1996 中国全土50箇所でコンサートを行う。
  1999 チャリティーCD「DEAR CHILDREN」を発売、その収益金で
     2001年中国寧夏回族 自治区に小学校を建設。
2004 1stCD「DEAR PEOPLE」リリース。

  著書:2000年「1DKの中国(チャイナ)」はる書房
     2002年「アメージンググレースが聴こえる」
        アートンモットー 日々是好日 
        くよくよしないこと。