タヒボ懇親会での涙、笑い、ホットな笑顔

講演会では私が皆様の前で、少しお話をする時間がありましたので4年前の私とお客様の話をしました。

話しをしていくなかでその時の状況が鮮明に思い出され、思わず話しながら泣
いてしまい、何を話しているのかがわからなくなってしまいました。涙をぐっ
とこらえてしっかりお話をしようとしたのですが、どうしても涙が止まらなく
て簡単に話をまとめ次の方に交代してもらいました。

皆様に正確に話を伝えるという点では、この涙もろさを反省しなくてはいけま
せん。
今回もまたまた反省です。(毎回泣くのでいつも反省です。)

またスタッフも皆様の前でお話しをさせていただきました。
スタッフの『全国のタヒボ愛飲者の方たちと会って行きたい。励みになりたい』と涙ながら話をしている姿にもらい泣きしそうになりました。

その後は、お客様同士休憩中にお互いの話をしながら和やかな雰囲気で終わり
となりました。
講演会が終わった後も愛飲者の方、タヒボに興味をお持ちの方からのご質問な
どがあり、スタッフが個別にお話を聞かせていただいておりました。

スタッフが担当のお客様、秋山様ご夫妻と話をしているのを横で聞いていると、秋山様が『ここまで何でも話せるのはきせんコミュニケーションズさんぐらいです。本当に今まで助かりました』とおっしゃっておられました。秋山さんとスタッフは、「また元気な顔で会えるように頑張りましょう」と泣きながら話をしている姿に眩しいものを感じ、感動しました。スタッフは人の気持ちをよく考えて応対していたのだと、私は誇らしく思いました。

福田も愛飲者の西川様と話しをしていました。私が行くと、『お休みの中、タ
ヒボを送ってくださって対応の早さに娘と共に感激しました。』とおっしゃっ
て下さったのです。西川様は、私が年末年始休暇中事務所に行ったり来たりと
仕事をしていた時、メールでのご注文が入っており、その日に発送をさせてい
ただいた方だったのです。

私はそのお言葉がうれしく、休みなく仕事をしていてよかったと心から思いま
した。(年末、年始毎日仕事をしていたわけではないのですが・・・)そして
また一層、タヒボを必要とする方々にとって一日一日がとても大事だと感じた
のでした。

2月7日タヒボ懇親会の坂井涙事件の理由

前回のメールで何を思い出して泣いたんですか?と言う問い合わせがありま
したので表現(薬事法)に気をつけながらお話をさせていただきます。
私が関わったお客様は、3週間後には声帯を全摘出しないといけないという方
でした。私自身できる事は、何かと考えたときにお茶を勧める事だけでした。
結局3ヵ月後には声帯を半摘出という極めて異例な手術を行うという形になり
ました。

 私は、その手術が十何時間の手術と聞いていましたので何が出来るかと考え
たときに、お守りだったら渡せられると思いました。縁起のいいお守りを知っ
ていたので手術前にお守りを渡しにかけつけたのですが手術室に入ったところ
でした。

 そして手術が終わって何日後かに病棟にお伺いしたときに、ご主人と初めて
お会いしました。点滴の棒にはお守りがつるされていました。声がでないので
小さいホワイトボードに『ありがとう』と書いてくれたのです。私自身それを
見たとたん涙が止まりませんでした。その光景が話しているとどうしても思い
出します。あまりお力になれなかったのにあの一言はとてもうれしく、今では
それが私の原動力になっています。それが4年前の出来事でした。

タヒボ懇親会のふれあいを一部公開

2月7日東京講演会には、なんと30人もの方々が出席して下さいました。その内、
弊社愛飲者様も9名お越し頂き、懇親会はまず最初にきせんワールド社長の坂井よ
り、タヒボについての最新情報を話、次に広島の不動産関係の方、この方はタヒ
ボに力を入れらていて、そこで勤務されている方がこの会の為にご自身の体験を
お話しくださいました。

次に私(坂井)が光栄にも皆様の前で話す機会を頂けましたので4年前の私とお
客様の話をしました。(詳しくは次の《2、懇親会での笑い、涙》に書きました)

その後、弊社愛飲者様のご紹介でタヒボを始めて知った方がご夫婦できてくださ
っており、東京の坂井社長に

『今までの経験上ハッピーな声を4万人って少ないですよね』
とダイレクトに質問されました。
それに答えたのがきせんワールドの販売店岡田さん(普及をして5年ぐらい)で
『その人数は大変多いですよ』と説明。それから岡田さん(50歳代)の普及に対
する思い、今までの体験を告白されました。

他にも、66歳の方がご自身の体験を告白してくださいました。
皆さんその後、みょうに不思議そうな顔をしていました。その後もタヒボの体験、
思い、タヒボの質問、笑い、涙で終わりました。
(涙を流していたのは、私でもあるのですが、、)

『頑張りましょう。』といってくれた一言

今回、話しの中で出てくる岸本さんは、大阪の講演会に来てくださった方で当社が発行するニュースレターを読まれている皆様はご存知の方です。あの娘さんの泣いていた姿は、とても私の心の中に残っていました。岸本さんのお母様の『体験談が届きました。』という報告、本当に嬉しく、よかったと思いました。

お話をしているお客様から『次のニュースレターを楽しみにしているよ!』という声を聞くと私も嬉しくなります。スタッフが、東京講演会で始めてお会いした愛飲者の方に「『またお会いできるように頑張る!』といってくれたよ」という報告。本当に嬉しい出来事が、毎日のようにたくさんあります。

しかし、愛飲者全てではないのです。
私は、今月すごく悲しい事がありました。
思い返してみると、私が取った電話から始まりました。タヒボについてのお問合せでした。

電話でお話をしている方は妹さんで、とてもお兄様思いの方でした。タヒボの話をして、お兄様が飲むこととなりました。その時、よくもって2週間とお医者さんに宣告されており、手のほどこしようがなかったようです。「本当に奇跡!!」といって喜んで下さった出来事がありました。それからは、お兄様もタヒボがなくなると「早く!」と、とても気に入って下さっておりました。

他の健康食品も飲んでいたようですが、徐々に減らしていき、タヒボを増やして飲んでいくと言ってくれました。
いつも妹さんから電話があるのですが、なぜかとても気になったので電話したら、急変して亡くなったとのことでした。私は、何を言っていいかわからず呆然としました。妹さんは、『タヒボをもう少し早く知っておけばよかった。

あれから今まで長生きできたのは坂井さんのおかげです』といって逆に励ましてくださいました。私はその言葉を聞き涙が止まりませんでした。私は、こんな状況でとても前向きな妹さんに何も言葉が出てきませんでした。妹さんが私に言って下さった言葉、このやりとりをスタッフが聞いており、『頑張りましょう。』といってくれた一言。

本当に心に残る言葉というのは、その言葉の中に思いやりがこもっていると感じるからですよね。これは内面からあふれ出てくるものですから、内面に本当のやさしさが無ければ相手の心に残る言葉は出てこないですよね。私ももっと思いやりのあるいい男になりたいと思いました。(そしたらもてますよね。)

私は田中さんとの出来事に運命を感じています。この悔しさをばねにもっとタヒボを広め、毎日嬉しい出来事で一杯のきせんコミュニケーションズであるために、今まで以上に努力していくと心に誓いました。

5年ほど前にタヒボの話を聞きに行った友人と

私の高校時代の野球部の友達が最近とてもタヒボを広める事に協力してくれています。
7月19日の講演会も来てくれて、ビデオ撮影、お客様へのカレーの配布、後片付けなど私が頼んだわけでもなく、率先して色々と手伝いをしてくれたので凄くうれしくてたまりませんでした。

講演会後は、いろいろな方を紹介してくれるようになりました。
実は5年ほど前にも私がタヒボを始めるきっかけとなった講演会に彼は一緒に行っているのです。
その時は凄い言ってくれたものの特に何にもなかったのですが、今では沢山の方を紹介してくれるので私が何故この仕事をやっているかという事を理解してもらえた事が凄くうれしかったです。
19日講演会後の彼は、親戚の美容室にわざわざ行ってタヒボの紹介をしてくれたり、仕事の事で「このような広告の仕方がいい」など色々アドバイスもしてくれます。

私は今回の事で彼を見習う事がたくさんありました。振り返ると彼は、講演会の前にも「資料を持ってきてくれ」と私は頼まれていていたのに、あまり急ぐ様子でもなかったので7月19日の講演会が近い事もあり、その時でいいと勝手に思っていました。
タヒボの資料が欲しいといっていたのは、今回紹介してくれた方の為だという事が後にわかり非常に後悔しました。
私が彼に頼まれてすぐに持って行っていれば、もっとはやくタヒボにめぐり合えていたのです。例えそれが数日でもです。
私はタヒボを飲む方は「縁」なのだ。「縁」という言葉で全て片付けていたところがありました。「縁」とはとても大切なことですが、「縁」があればまた言ってきていただけるだろうと受身になっていたのです。

今回思ったことは、どんな人がどんな言い方をしようが真剣に受け止め、迅速な行動をとらなければいけない事が後々の後悔につながるのだなと思いました。

受け身な体制だけでなく、粘り強く、後悔のないように伝導していくことも勉強になりました。だって彼が粘って、親戚の友人に伝えることが出来たのですから私にだって出来ないことはないと思いました。