化粧品の感想をくださった方は当社を辞退された方 これも不思議なご縁?

今回、化粧品の体験談をくださったのは当社の求人募集に応募さ
れ、面接にこられて残念ながら辞退された田中さんです。
田中さんは、ホームページのWEB制作希望でした。
私は、田中さんの職歴を拝見すると最初は一般事務を中心にしていただき、
WEB制作はウエブスタッフの補助的な事をしていただこうと思っていまし
た。

田中さんもWEB制作のキャリアを一般事務をしながら、補助的なことから
キャリアを積んいくのに納得もしていたのですが、私が『WEB制作に関わ
りながら何か夢はありますか?』とお尋ねすると田中さんには大きな夢があ
りました。

それはウエブ制作にどんどん関わっていき、キャリアを積んで独立したいと
いう夢です。

私はそれを聞くと、私はまずは一般事務を中心に考えているので、田中さん
の夢には遠ざかると思うし、よく考えてください。返事をお待ちしています
のでと答えました。

やっぱり、夢に対しては遠回りをせず、まっすぐ突き進んで欲しい。
夢に対して頑張って欲しいとおもったからです。

やはり、田中さんからは辞退のメールが送られてきました。
私は、夢に対して頑張ってくださいねと返信しました。

すると不思議な事にそれから何日後に化粧品のご注文を頂いたのです。
そのご注文とメールを見てびっくりしました。
私は面接の時にはタヒボの話と私がどのようなおもいで仕事を始めたのかと
いう話しかしていないのに関わらず、化粧品をご注文してくださったのです。

もううれしいのと反面無理してないかなという気持ちになりました。
しかし、化粧品の感想をいただいた時には本当によかったと思いました。

脳卒中の方が集まる元気の源『やまびこ会』

私は、東大阪でグループホーム(高齢者の方が少人数で生活できる施設)とやまびこ会の運営と脳卒中の会の理事をされていらっしゃる吉岡社長とお会いできる機会をいただきました。やまびこ会というのは、脳卒中という病気を経験された方が集まっている会です。脳卒中というのは、脳の血管がつまり、歩行障害、言語障害などが起こる非常に恐ろしい病気です。私は、吉岡社長から1週間後にやまびこ会の遠足があるからとお聞きしたのでどのような会なのか参加してみようと思いました。

やまびこ会では、毎月皆さんで集まり月に一回の遠足もしくは舞州に行って外に出る事を非常に大事にされています。東大阪から舞州ですと1時間ぐらいかかり、とても遠いのですが舞州にある障害者施設はプールなども使えて、無料で使用できるとの事でした。近辺にはそのような大きな施設で無料で使える所がないのです。今回は、河内長野の花の文化園です。

私も仕事柄いろんなご病状の方にお会いする事もあるのですが、このような会に参加するのは今回初めてです。急遽、今回ボランティアとしてお手伝いする事になりましたが、はたして病気の事などに触れてもいいものかなどどのような話をすればいいのかという不安がありました。

全員で30名でした。東大阪で集合し、市が無料で貸してくれるバスで行くことになりました。
バスの中では病気の話がバンバン飛び交っていましたし、とてもみなさん元気でよくおしゃべりされるのに正直驚きました。私は、アンケート用紙のご記入の為、お隣の席の方に病状の事などを聞く機会がありました。そこで初めてお隣の方とお話が出来ました。病気になって何年か経過するとおっしゃっていました。話をしているときの表情は、とても明るくどっちかというと私の方がくらい顔をしていたように思います。病気の事がとても生々しかったからです。私は、とてもタヒボの話をしようかと迷いましたが、ボランティアで参加なので私の話は辞めとこうと思いました。

花の文化園の駐車場に着いたのですが駐車場から花園まで700メートルぐらいと距離が少しありました。車椅子の方が6名ほどいらっしゃいました。私も車椅子を押すのを手伝いました。花園まで行く途中に普通に歩いても急な坂と感じるぐらいの坂があり、道路から歩道になる所に少しの段差がありました。
そこで私が車椅子の前方を少し持ち上げると、倒れそうになりました。このような坂は、誰かが付き添っていないと坂道での少しの段差はとても困難だと思いました。車椅子の方にとってバリアーフリーがいかいに大切であるかという事がこの時ようやくわかったような気がします。

昼食の時、テーブルに4人ずつ座っていますので私が花の文化園まで車椅子を押した中川さんと一緒に食事する事になりました。中川さんは、話しかけると返事はしてくれます。
あと、女性の田中さん、竹下さんとです。竹下さんは、ビールを飲まないのに周りの方が飲むビールの注文数を確認して、注文してくださいました。私にも、『暑いな。お兄ちゃんビールのんでよ』と言ってくれたのです。とてもうれしかったです。私は喜んでグビグビビールを頂きました。
食事中には病気の状態、病気になった事などを教えてくださいました。今まで健康診断などでは全く異常がなかったらしいのです。検査後、少し調子が悪いなと思ったときには朝突然に病気が襲ってきたそうです。それから好きなビールは、飲むのを辞めているとおっしゃっていました。

私はお話を伺っている時に、またタヒボの話を何度もしようと思ったのですが、できませんでした。
食事が終わると、中川さんを女性のヘルパーさんが押して移動しようとする時に、私はそのヘルパーさんの隣に居りました。すると女性のヘルパーさんでなく、私を選んでくれたのです。正直、私は男性より女性の方が喜ぶのではと思ったのですが、何故だか選んでくれた事に嬉しく思いました。
私は、はりきって押しながら花を見て回りました。(単純なもんで、、)
そして、中川さんがトイレの方を指差したので小走りで一緒に入りました。そして数分後、トイレから出ようとすると隣にあった車椅子用の便所を指差したのです。私は『ウワッー』と思いました。何で気付かなかったのだろうと思いました。

それから、ジュースの自動販売機を指差したので、私が自動販売機にお金を入れ中川さんの分を買うと、私の分とジュースを買う前に5分ほど一緒におられた方の分もという事で私は中川さんにごちそうになりました。その時私は、とてもうれしかったし一緒に話されていた方のジュースまで買うやさしさが私ならそこまでの配慮をしないと思い、中川さんの無言の気遣いがとてもかっこよかったです。

私はバスの帰りの中今日の感想とタヒボの話を皆さんの前で話をさせていただきました。
いつもならお話をさせてもらった後、タヒボ茶の情報を伝えれたという満足感があるのですが、今回は情報をお伝えしたというより、ボランティアという事を言ってみなさんに接していたのに、結局売り込みなのかと思われているような気がしてなんだかすっきりしませんでした。

それは、最初からこの仕事をしていると言わずに健康関連の仕事をしているとしか言わなかったからです。この仕事をしていると言うと警戒され、気持ちを閉ざすのではないかと思ったからです。だが、今覚えば最初からタヒボ茶の仕事をしているといった方が自分の中では楽で、偽善者と思わずにすんだのかも知れません。そんな事を考えながら、皆さんとお別れのときがきました。送迎者に乗って帰られる時に一緒に昼食をした竹下さんは、『機会があったらまた来てね』と言って下さいました。

その言葉に少し救われたような気持ちになりました。
私は、数日後社長のところにお会いしに行きました。

私が感じた事、自分が偽善者なのではと思った事などを話しましたら、社長は、『みなさんいつ死ぬかわからん恐怖があるから、今を必死に生きている。だから朝目がさめたら起きれた事、生きている事に感謝するし、今日も生きれるという事で必死に後悔せんように過ごされている』とおっしゃっていました。あと、『そうやって偽善者とか思わんでいい。みんなほんまにええもん探してるんやし、どのような会なのかということで勉強しにきたんやから』とおっしゃってくれました。私は、社長の言葉にとても励まされました。

私はやまびこ会に参加して、お互いが励ましあったり、病院のどこの先生がいいとかの情報交換をしたり、また会おうねという言葉を交わし笑顔で別れる様子を見て、仲間の大切さをとても感じました。私はあまりみなさんとしゃべれなかったですが、みなさんの笑顔ややさしさにたくさんの元気を頂き、もっと精一杯生きていこうと思いました。

脳卒中で最近外に出ていないとか、同じ症状の方と情報交換したい、笑いたい(皆さん面白いし、スタッフが面白く親切)という方がいらっしゃいましたらお気軽にお電話下さい。
全国にもまだこのような団体は少ないですが、何かお役に立てれる情報をご提供できると思います。

タヒボ講演会を実現した仲間達とここだけのエピソード

私は、5日間きせんワールド坂井社長、鳥山ディレクターと一緒に各地
 講演会を回りました。
 
 福岡では、海産物の卸で有名な大川社長の知人、友人がたくさん集まり講
 演会が開催されました。講演会後に、坂井社長、鳥山さん、私と篠田を食
 事に誘ってくれました。私は大川社長と初対面だったものですから少し緊
 張していましたが、とても気さくでと話しやすい方でした。

 少しだけですがつっこんで話をできるぐらいになりました。夜遅くにご自
 宅にも呼んで頂きました。
 
 家に入るとすぐに大川社長は、『使わないから』と私にコートをくれたの
 です。大川社長は、私だけがコートを持っていないのを見てそういってく
 れたのではと、大川社長のお心づかいがとてもうれしかったです。

 保養施設プロジェクトの参考にと「○○病院を見ては」と言うアドバイス
 も頂き、何から何までお世話になったなーと感じました。

  大分では、代理店の岡野さんが主にお客様を集めてくださいました。
 岡野さんは、5年前にきせんワールド坂井社長に出会い、タヒボに興味をい
 だき感動して、今ではタヒボの普及活動をされている方です。

 岡野さんはとても勉強熱心で、行動力のある方でいつも一軒一軒皆様の所
 を回っているそうです。

 タヒボと水(高解離プロトン水)を広めようと思ったきっかけは、

 「皆様に喜ばれる事、これ以上の科学的データがそろっているものは他
 にはない」
 と思い、始めたとおっしゃっておられました。

 講演会後に、温泉施設病院をされている先生に「タヒボを伝えたい」と
 いう岡野さんの思いで、皆で先生にお会いしました。先生は、波動とい
 うエネルギーに興味をもち、髪の毛から波動を測定して臓器の異常、ガン
 があるかがわかる700万円する機械をお持ちでした。

 またその機械で免疫力を測る事ができ、私達も測定をして頂きました。
 平均値は5?8で、私は17でした。続いてきせんワールド坂井社長はなんと
 22という異例の数値がが出たのです。

 これは異例中の異例らしく、今までの最高は21。それを上回る数値に先生
 もびっくりされていました。やはりタヒボ歴が長いからではないかと思い
 ました。岡野さんは、先生に会うといつも波動の話を聞かされるそうです
 が、どうしても先生にタヒボと水の真実を知って頂きたいとこれからもタ
 ヒボ、水を理解して頂けるよう頑張り続けるとおっしゃっていました。

  岡山では、以前ニュースレターでもご紹介いたしました、美容院を経営
 されている服部先生の主催で「タヒボ会(懇親会)」が開催される事とな
 りました。服部先生は、タヒボの普及活動をしていて

 『正しいと思うことは、人にどう思われようが伝える』と言われます。
 とても印象に残った言葉でしたし、先生の強い気持ちが伝わってきました。
 先生の思いは、人を勇気付ける言葉になるのでいつも圧倒されます。

 美容室に来られるお客様がアトピーで悩んおられ、先生は躊躇せずにタヒ
 ボを勧めたそうです。その方は、お金が続かなかったようでタヒボを飲む
 のを途中で辞めたそうです。

 そのかわりボーナス時に水(高解離プロトン水)を購入され、また調子が
 よくなっているようです。普通、地域密着型美容室でお客様にあれもこれ
 もと勧めにくいのではと思います。

 何故なら『あそこに行ったら勧められる』という噂と隣りあわせだから
 です。服部先生の場合は、それが相手のためにという強い気持ちがある
 からこそ、ためらいもなく勧め、相手はそれを信じ、よい結果がたくさ
 ん出てきているのです。

 そんな服部先生が懇親会後、きせんワールド坂井社長に
 『いつも来ていただいたらパワーを頂けます。ありがとうございます。』
 とおっしゃっているのです。きせんワールド社長は、服部先生より更に
 パワーの持ち主なんだなーと思いました。
 
 各地でタヒボの輪を作っている大川社長、岡野さん、服部先生は、とて
 も純粋で行動力のある方々でした。
 その輪の源は、きせんワールド坂井社長であり、鳥山ディレクターでした。
 
 人と人が信頼して奇跡を生む、それには熱意と純粋な気持ちがあればなん
 でも達成できると思わせてくれた5日間でしたし、素晴らしい仲間たちが
 いるからこそ、この「タヒボ会」が有意義なものになり、これからもタヒ
 ボの輪が大きくなり花を咲かせることができるのでしょう・・・

『思い、信念が不思議な縁を作る。』

株式会社ふぅーが設立され、『がんで戦うもの同士励ましあい、つどえる場所があればいいのに・・・』というタヒボ愛飲者の声をきっかけに代替保養施設「ふぅーくるぶ」のプロジェクトが始動し始め、私が関わりを持つ中で感じたことでした。

現実的にこのような壮大なプロジェクトを可能にするには、莫大な資金が必要になってくるのではないかと客観的に見ていて不安でしたが、「人生何があるかわからない」、思いがあれば資金の心配などいらないのではないかと思いなおしたのでした。ですから初めの不安も今はあまりありません。

そう思わせてくれた出来事の一つは、東京のタヒボ会に『がんの図書館』の館長さんが来て下さいました。館長さんが代替保養施設プロジェクトに賛同いただき、プロジェクトに賛同いただける方をご紹介してくださっているのです。

また、東京のタヒボ会後、タヒボのご愛飲者の丸原さんとお会いすることになっておりました。丸原さんのご主人がお亡くなりになり、スタッフがお宅にお伺いした時、丸原さんは以前に病院の婦長さんをされており、その経験から現在ボランティアで病気に苦しむ方へのカウンセリングをされている方だと知りました。

プロジェクトの話を聞いた丸原さんが『力になれることは手伝います。』と『代替保養施設プロジェクト』に賛同してくださったのです。そして今回お会いすることになったのでした。

丸原さんに初めお会いした時には、何をどう話していいものか言葉が出ませんでした。それは、丸原さんのご主人様が亡くなったからです。一緒に食事に向かうタクシーの中でご主人の事に触れました。私は『体調がよくなってもらえなくて』と言った時に、スタッフの丸原さんのご主人に対する思いと丸原さんのご主人に対する思いが私の頭の中をかけめぐり、ぐっとくるものがこみ上げてきました。

丸原さんはそんな私に、『主人がきっとこの出会い、縁を財産として残していってくれたのだと思う。』とおっしゃってくださいました。私がご主人の事に触れ、そう言ってくれた丸原さんに、少し気持ちが楽になりました。

この丸原さんとのご縁もスタッフが「お宅にお伺いをしてご冥福をお祈りしたい」という思いがすごく伝わってきたからです。私は会社が大阪でご愛飲者が東京でしたので少しためらいましたが、スタッフがなんとかしたいという思いで頑張っていたことを思い出し、私は行ってあげてくださいとスタッフに言ったこから生まれたものでした。

私はどこでどうつながるか不思議なものだと思いました。
本当に何が起こるかはわからない。思い、信念が思わぬ奇跡を生むのだなと感じた1日でした。

名古屋の講演会では、、

名古屋の会では、質疑応答の時間を座談会形式にしており、皆さんご自分のお話、現在の状態などを話をされて、それについてきせんワールド坂井社長がいろいろとアドバイスをされておりました。しかし、時間がなくなり会場を出なくてはならなくなってしまいました。しかし、皆様も社長をはじめきせんコミュニケーションズのスタッフもまだまだ話たりず、会場下の喫茶店へ場所を移すこととなりました。お時間のある方は皆さん残ってくださり、それぞれお話をされておりました。タヒボ会とはまた違う雰囲気で、すごく貴重な時間でした。

皆さんそうですが始めは緊張されています。会が進むにつれてリラックスされ、だんだんと親密感が生まれ、団結力が湧いてくるのです。その後にもっと話を出来る機会があれば、それが元気の源になり、勇気がもてるのではないでしょうか。現に名古屋会場では、お客様同士が励まし、「がんばってね」「がんばりましょうね」という声もありましたし、お帰りの際には皆さん笑顔で「がんばります」「救われました」と言ってお帰りになっているのですから・・・