東から西は運気があがるin久高島

月曜日には沖縄の南城市にいました。ここには神の島である久高島(くだかじま)があります。天気は降水確率10パーセントなのに雨が降っていました。

久高島は、琉球の創世神アマミキヨが天から舞い降りてきた島で、沖縄はこの島から始まったとされていて琉球神話聖地の島であります。

着いても雨が降っておりカッパを来ながら自転車で島をまわります。途中で案内所が気になり、立ち寄るとどのようなコースが良いのか?東から西は誕生を意味して命がやどり運気も上がって行くなどを教えて頂きました。

まずは東にある伊敷浜(イシキ浜)は農業の始まりで五穀発祥の地であるとの事。砂が真の砂で真っ白。砂はフィルターで土の汚れを取り、浄化し、塩水は腐らないから復活という意味があるとの事。この自然に挨拶をし、石、防風林、食物、生き物、砂などのバランスが整っているこの空間すべてが良いとの事。

次から次へとよく教えてくれる方で私には2時間しか滞在時間がなく、20分ほど話を聞いていました。だが、話を聞いていると自然の見方が変わりとっても自然がありがたいと深く思えました。雨があがり日もさして来て祝福されている気持ちになりました。

その後 沖縄の生薬の会社を見つけ、ブルーになるお茶やどれも沖縄県で作っている無農薬のハーブを原料にしていると聞き とてもこだわりのある会社でした そこも行く予定がなく、どこが夜食べるのに良いですか?と聞いて教えてもらった場所に行った時に見つけたのです。

ここを出て教えてもらった店に入りましたが、あまりにも良い感じがしないので入ってメニューを聞いて違う店に行きました。その後 朝から昼も食べてなかったので、ここが良さそうと思い居酒屋に行きました。

店主は62才、大手の飲食店で管理者をされていて、全国を食べ周り独立。そして沖縄に移住し居酒屋経営を始めたとのことです。しかも大分県や沖縄の離島にも出店するとの事です。 その方は、とくに香辛料を使わず、辛味甘味苦味などのバランスを大事にするとの事でした。そして、人生一度きりなので、好きなように生きる!との事でした。

お店に来たお客さんと飲みに行ったりしてご縁を大事にされ常連さんが多いとの事でした。料理も上手いし、一人で厨房をし手際もはやいのです。この店主にも何気なく話したのがきっかけで色々と教えてくださったのです。

次の日には、私が泊まった部屋のマンションのオーナーさんに本部まで会いに行きました。そこでも新たに旅館を買われていてそこで初めてお会いできました。沖縄県での今後の町の計画や旅館の運営情報を教えて頂き、とても参考になりました。

南城市という町の事を何も知らず、ただ民泊でとっても良いのが出ましたと付き合いのある業者に勧められるがままに借りたのがきっかけでした。
それがなかったら久高島に行くこともなく色んな出会いもなかったのでこれも何かの導きかと思いとても良い気持ちで過ごせました。

この後は、脳のリハビリで半身麻痺を克服した記事を見て、どうやって克服したのか?その話を聞きに宮古島に向かいました。

 

今日のありがとう!

今日は石黒先生と出会い人生が変わった方の発表会が東京でありました。私達NPO法人がん克服サポート研究会では石黒先生が東京で発表会をするという事でお手伝いをさせて頂きました。

石黒先生は癌の方がどうしたら良くなるのか?どんな体型の方でも熱が体の深部まで入るのか?をボランティアで研究されているのです。

私達はその石黒先生の研究成果によって本当に喜んでいる方がいるので、喜ばれている方のお話や私達の情報を聞いて人生が変わった。ありがとう。などの声でやりがいを感じる事ができ私達も救われているのです。

世の中にはいろんな温熱器があったりいろんな温熱療法があります。そして色んな方が販売したり広めたりしています。

だが、ボランティアで癌の方がお困りで電車代ももらわずかけつけたり、来られた方に何時間も無料でどうやったら良いのかを教えたり、発表会も参加費、懇親会も無料でふるまうかたがいるのでしょうか?

私は健康業界で16年仕事をしていますが80代で自分の体は後回しにして人の役に立つ事を生きがいにしている人は他に知りません。

本日は妻の病気のために色んな方法を検索して私達の情報にたどりつき、石黒先生を知り、医者任せに言われるままにするのでなく、自分達でも健康に近づける方法が見つかり、本当に救われたという方がいました。

それと 別の方で子供さんの事、ご自身のの事で悩まれていて、私達に電話をかけてきて、発表会に参加され、加藤さんと話したから信用でき、ここは違う。本気だと受け止めてくださり、それがきっかけで来てくださった方もいらっしゃいました。

その方は懇親会の時に何気に私が話しかけてわかり、ほんとうに偶然でした。

喜んで頂ける事はほんとうに嬉しい事です。そして一緒に働く加藤さんを褒めてくれた事も大変嬉しい事です。今度は私が健康を取り戻し取材をなどの話をし、これからも気軽に電話をくださいなどのやりとりができ気分がとても良かったのです。

本日、大阪から加藤さんと東京に来て加藤さんは日帰りで私は明日から沖縄に行って宮古島です。脳のリハビリで半身麻痺を克服した記事を見て、どうやって克服したのか?その現場を見に行くためです。

宮古島に直接東京から行くより沖縄経由の方が飛行機代が安いので、沖縄の南城市に縁があり、旅館業の申請をしてもらっている所に泊まり周りを視察して宮古島に行くのです。

一寸先はひかりと思い信じ、人からどう思われようが自分の目で確かめ、自から行動をおこし不思議なご縁につながった方達から久々にもらい泣きして感動した一日になりました。

石黒先生には感謝しかありません。これからも顔晴る方の役に立てればと思います。

大雨 台風を乗り越えジャガイモが順調に育っています。生きているってすごい!

 

 

まわりの方に助けてもらった釣り体験

子供達が釣りに行きたいというので、場所を探し、車で1時間半かけて行ってきました。10年ほど前に新品の釣り竿を買って、置いてあったのをようやく使う日が来ました。

釣り竿とサビキ用の針やサビキ用のエサ入れ、リール、ウキなども新品のままです。
一度も使っていなくて、どうやってそれを取り付けるのか何も調べず、何とかなるだろうと思ってそのまま持って行きました。

行った場所は、レンタルもやっています。1本は釣り竿があったので、子供達のをレンタルしようと思っていました。すると、「1本釣り竿があれば楽しめるよ。」という話でしたので、「釣り竿はあるけど、どうやればいいか教えてもらえますか?」と聞くと、リールを左用から右用に変えて頂き、ウキ止めやウキをセットして頂き、すべてセッティングをしてくださいました。とっても親切な方でした。

それからエサを買い、エサ入れに入れてやってみました。
始めた時間は13時ごろです。なかなか釣れません。

ようやくアジが一匹釣れましたが、クーラーボックスはあるのですが、氷は持ってきていません。ちょうどそんな事を話していると、右隣の方が帰る用意をされていて、あまり釣れずにあまったとの事で、私達にペットボトルを凍らした物を3本分けてくださり、それをクーラーボックスに入れました。とてもタイミングよく、ツイテいました。

右隣の方が帰ったので、別の方が来ました。その方も家族で来ていて、いきなり初めて20分ぐらいで大きいボラを釣ったのです。その方達も家族で釣りに来たのは初めてで、何にも用意をしていないので、「この魚いりますか?」と、喜んで頂きました。
それからもすぐにコノシロを釣って、アジも3匹、隣の方から頂きました。

私達はアジしか釣れません。左隣の方は、アジをばんばん釣っていました。やり方を真似してやっていたのですが、なかなか釣れません。そしたら左隣の方は、「針を小さいのを使っている!」と、さらに「この場所はよう釣れるみたいやわ。」との事。
私達はその隣なのに全く釣れません。右隣の方は初めてなのに大物が釣れています。

左隣の方は、帰るとの事で「この場所良いからどうぞ!」と、さらに「この釣り針はよう釣れるからあげるよ!」と、とってもありがたいと思いました。確かに少し場所を変わるだけで釣れるのです。

4時間ほど釣りを行い、もらったボラ1匹、コノシロ1匹、アジ3匹、と私達が釣ったアジ10匹を持って、さばいてくれる所を探しに行きました。近くに市場みたいなのがあったのでその中に鮮魚店があったので電話で聞いてみると、さばいてくれるとの事で行ってみました。

すると、行ってみて電話して聞いたのにダメだったのです。市場の近くで釣ったものでないとさばいてくれないのです。その方に、「この市場の中ではどこもさばいてくれないのか?」聞いてみると、どこもやらないとの事でした。

鮮魚店の横の店では、氷の上に刺身を並べて売っていたのを思い出し、鮮魚店の隣のご主人に、「どうしても初めて釣った魚なのでさばいてもらう事は無理かどうか?」をたずねてみました。すると、引き受けてくれたのです。隣といっても鮮魚店とつながっていて、最初にたずねて聞いた方がレジをしていて、今回だけ特別なのでとの事です。

このような事が3日間の関東出張に行った時にもありました。業者には工事中なので内覧は出来ないと言われていたのですが、私は場所の雰囲気やどんな街なのかを知るために視察に行きました。その無理だと言われていた部屋に行くと、確かに工事中でしたが理由を話して、内覧をさせてもらいました。

その時も思いつきと何とかなるだろう!という心の声です。

家族といる時は、1年前から3つの嬉しかった事を全員が話すようにしています。今日は、車の中で話しました。

私が子供達に話したことは、今日の出来事で人に話しかけたり、聞いたりすることで、ツイテル事がたくさんあった!と、そしてうまいこと行ったけど、どんな良い事があった?などを話しました。

釣りという経験を通じて、人と触れ合い、助けてもらい、お願いする事により、ルールが変わるようなこともあり、子供達にはとっても良い思い出になったのではと思いました。

3つの嬉しかった事ではみんなが釣りは楽しかった!とそして子供達みんな、また魚釣りに行きたいとの事でした。

 

3日間の関東出張

木曜日は神奈川県横浜市にある療養通所介護施設と在宅型有料老人ホームで重度の症状の方にはどのような方法で関われるのか?看護師の勉強や教育、訪問看護でも役に立つのか?などが気になり、2か所に見学に行きました。病院では重度の方も退院させることがあり、ご家族が不安な思いをする事があります。

その際には療養通所介護施設では、重度の方を受け入れる事ができますし、場所によっては泊まる事もできる所があるそうなんです。看護師は重度の方と関わる事により、経験になり、訪問看護でもいかすことができ、より医療でお役に立つにはとても良い事を知ることが出来ました。

在宅型有料老人ホームでは、認知症の症状が和らぐお手伝いをしたり、歩けなかった方をリハビリや食事管理により、歩けるようになったりするお手伝いをしているのです。水分量をある水分量摂取してもらうだけでも認知症の方は良くなるそうなんです。

前回のブログでは脳のリハビリで半身麻痺を克服という記事の話をしましたが、その方と連絡がつながり少しお話を聞く事が出来たのですがなかには、無理にリハビリを行い、その後遺症により動かせない方もいるとの事です。

だが、そんな方でも本人の意識とイメージの強化により、治っていくそうなんです。しかも体を触るずに見守るとの事です。詳しくは取材に行く予定です。

金曜日は、衆議院第一議員会館で行われた「第九回 統合医療研修会」のお手伝いです。

佐伯吉捷先生による「オルゴール療法」は初めて聞くような話でした。
文部省の大橋力先生は、「高周波を含む音楽は、脳幹、左視床下部の血流を回復する」ことを第4回国際神経学会で発表されました。

オルゴールの持つ自然界にあるのと同じ周波数の“生のひびき”が生命中枢の脳幹、視床下部の血流を回復して、脳を機能し、全身の臓器・器官と連携して心身の複数の症状を同時に解く、根幹療法とも言える治療法だそうです。しかもオルゴールのひびきは3.75ヘルツ?10万2千ヘルツ(後に20万ヘルツが測定)あるものでないと効果がないみたいなのです。

他にも癌のステージ別統合医療の目的などで「薬用植物(タヒボ)を用いた、がんの統合医療」の話なども平田章二先生からあり、とても薬用植物も有効である話などもありました。

勉強会では以前に取材したことがある松宮さんからオーガニックのフルーツやカカオの話しを教えてもらったり、無農薬・無化学肥料の農園を千葉県でされている方や室内栽培で3カ月でにんにくが出来る農法があるという話などが聞けて良い出会いがありました。

土曜日には、千葉県に行きピラティス・ヨガストレッチのスタジオアークさんでパーソナルトレーニングをしてもらいました。前から黒須さんとは何回かお会いして、とてもどんな事をしてインナーマッスルを鍛え、骨盤のゆがみなどを良くするのかに
興味を持っていました。

黒須さんの誘導と意識する部分を的確に教えて頂き、自分のインナーマッスルの弱さでポーズが出来ないのにわらけてきたり、なんだかとっても楽しかったのです。あっという間の60分でした。また行きたいと思いました。だが、スタジオは千葉ですので、大阪の方を紹介してもらいました。

健康を手に入れるためには、色んな方法があり、良くなる可能性は無限にあるので、
病気になっても、様々な選択肢があります。

なかには病気をきっかけにより、自分の今までの生き方や生活習慣を見つめる方。
抗がん剤を変えたり、西洋医学の治療を変える方
西洋医学を併用して、オルゴール療法や薬用植物を使う方。
名医の言う事がすべてと思い、命をあずける方。

ほんと様々で、どの選択をするかは生き方です。依存するのも良し、医者は治す達人と思いこむのもよし、薬やオルゴール・薬用欲物など頼るのもよしだと思います。

まずは動いて情報収集をしないと始まらないですし、動いて新たな道がみつかったり、良い出会いにより人生が変わった方はたくさんいます。

効能効果や詳しいやり方などもお伝えしたいのですが、どうしても書けない内容が多いのです。私達も常に健康については自分で体験したり取材したりして、お役に立てれるように勉強していますのでお気軽にお問い合わせいただけたらと思います。

 

私は関東に出張に行く際に、肺がんで余命6カ月と言われ1度は克服された方が再発されて、癌になり気になり会いに行こうと思って電話をしたら携帯電話がつながらず、亡くなっていた事を知りました。

その方は、病院での抗がん剤と薬用植物を併用しながら、好きなたばこやお酒なども続けられていました。生活習慣を見直すというより、好きなように生きている印象でした。

目標に向かってあれもこれも努力すると、やりすぎでストレスがたまるから体に悪いと思われる方がいますが、幸せを思い描いてする事・楽しい事でストレスがたまると思いますか?

ただ、やらないといけないと思い努力するだけでは疲れはしますが、どんな気持ちでするのかによって結果はおおいに変わると思っています。

一度はうまくいく療法があっても、2度目はその方法でうまくいかなかったらどうしますか?療法のみでまかせっきりで、手遅れというのが一番困ります。

その為にも、どんな目的で、どんな幸せにつながるのか?どんな事をもっとすれば良いのか?などの自分でも取り組める内面を見つめ続けないと、良い結果はでにくいと考えています。自らが問題に向き合い、課題を明確にし、悪いことは断つ、良い事はまずは積極的にすぐにとりかかる。何にしろ物事における向き合い方はとても重要だと思いました。

イメージを強化するために書く

2017年9月から毎月1回、自由参加で予祝を行っていました。
予祝では実現したい状況の話をしてもらい、前もって出来たと祝う前祝いをしていました。

予祝の目的は会社のメンバー同士で本当にやりたい事、夢、目標なども語りあい、
みんなで応援し、支えあう事が目的でした。もちろん仕事や家族、趣味でもなんでも
オッケーでした。

本当にやりたい事は何か?
何のために生き、何のために仕事をするのか?
実現するためにはどうすれば良いのか?

などみんなにシェアーする事でしゃべりながらふと浮かんでくる事やツッコまれて気付く事もあり、勉強になる・役に立つと思っていました。

あれから1年、何が変わったのか?
自分の事を考えるようになったり、意識をするようになった!
だが、十分な目標の達成にはなりませんでした。

今月の予祝から原田式メソッドの勉強会に変更しました。
まずは原田式メソッドの4観点シートで本当に達成したい事を書きます。
さらに自分の気持ち、自分以外の方の気持ちなども書きます。
書いた事を見返すだけで楽しい気持ちやワクワクしたり、前向きになれれば
オッケーなのです。

達成したイメージを強化するために書くという基本から始めようと思ったのです。
脳のリハビリで半身麻痺を克服という記事の話もしました。

脳内出血を発症し、左半身麻痺。そでこお見舞いに来てもらった医学博士に
「脳細胞のうち使っているのは5%程度。残りは異変が生じた際、補うために待機している」と聞き、「手足は健康なのだから、脳の機能さえ回復すれば」と考えたらしく、乳児が歩けうようになるまでをイメージ。

感覚の無い左手の親指と脳を「つなぐ」ことに挑戦。感覚のある右手に左手の親指
を乗せ、「押すイメージ」を1日何千回も繰り返し、親指が動くようになり、自分で車も運転できるようになったそうなんです。

癒手道の樋渡先生は事故で、医者に「今後、歩くことができない」と言われた後に、自分で治すと決断され神経をつなぐ意識を行い、各部位を動かすイメージを行い、動くようになり、その方法を自力運動療法や氣功整体・あり方も含めて伝えているのです。

予祝を行う前日には子供の4観点シートに取り組んでみました。
自分がどうなりたいか?と次女に聞いたときに、私はてっきり花屋と聞いていたので花屋さんと思っていました。だが違ったのです。○○になりたい!と初めて小声で教えてくれたのです。

私たち親は、子供3人を比較していたのかもしれません。
そして、本当の事が言えない環境を作っていたのかもしれません。
出来ないと何らかのメッセージを伝えていたのかもしれません。

次女がなりたい事を話した時はとても笑顔でした。
だから、否定や無理だと思わない安心できる環境と機会が必要だと思いました。

目標を考える時には、現状や周りの声などを気にせず、本当にわくわくする事・したい事を設定するのが良いのです。

ある塾を見学しに行った時に、テストの前に何点とりたいのか?テストが終わった後にどんな気分を味わいたいのか?など目標シートを取り組むとの事でした。それを書き、その目標に取り組み、終わった後も見直すのです。

そんな事を話しながら、勉強会を行いました。
私達の目的は、希望、勇気、元気の源となるような起爆剤になる事です。
子供から大人・病気の方・お客さんまで、どのようなゴールを目指すのか?などの話をし、関わる方に私達がサポートできたらと思います。


ジャガイモが8割以上芽が出てきて順調に育っています。

 

畑ではほぼ見た目が枯れていた茄子が復活していました。見た目ではもうダメだろうと思っても、しっかりと生きていました。生き延びる為に力を温存し、時を待っていたのかもしれません。見た目では判断できない、強さを知らない事が多いのかもしれませんね。