株式会社ふぅーが設立され、『がんで戦うもの同士励ましあい、つどえる場所があればいいのに・・・』というタヒボ愛飲者の声をきっかけに代替保養施設「ふぅーくるぶ」のプロジェクトが始動し始め、私が関わりを持つ中で感じたことでした。
現実的にこのような壮大なプロジェクトを可能にするには、莫大な資金が必要になってくるのではないかと客観的に見ていて不安でしたが、「人生何があるかわからない」、思いがあれば資金の心配などいらないのではないかと思いなおしたのでした。ですから初めの不安も今はあまりありません。
そう思わせてくれた出来事の一つは、東京のタヒボ会に『がんの図書館』の館長さんが来て下さいました。館長さんが代替保養施設プロジェクトに賛同いただき、プロジェクトに賛同いただける方をご紹介してくださっているのです。
また、東京のタヒボ会後、タヒボのご愛飲者の丸原さんとお会いすることになっておりました。丸原さんのご主人がお亡くなりになり、スタッフがお宅にお伺いした時、丸原さんは以前に病院の婦長さんをされており、その経験から現在ボランティアで病気に苦しむ方へのカウンセリングをされている方だと知りました。
プロジェクトの話を聞いた丸原さんが『力になれることは手伝います。』と『代替保養施設プロジェクト』に賛同してくださったのです。そして今回お会いすることになったのでした。
丸原さんに初めお会いした時には、何をどう話していいものか言葉が出ませんでした。それは、丸原さんのご主人様が亡くなったからです。一緒に食事に向かうタクシーの中でご主人の事に触れました。私は『体調がよくなってもらえなくて』と言った時に、スタッフの丸原さんのご主人に対する思いと丸原さんのご主人に対する思いが私の頭の中をかけめぐり、ぐっとくるものがこみ上げてきました。
丸原さんはそんな私に、『主人がきっとこの出会い、縁を財産として残していってくれたのだと思う。』とおっしゃってくださいました。私がご主人の事に触れ、そう言ってくれた丸原さんに、少し気持ちが楽になりました。
この丸原さんとのご縁もスタッフが「お宅にお伺いをしてご冥福をお祈りしたい」という思いがすごく伝わってきたからです。私は会社が大阪でご愛飲者が東京でしたので少しためらいましたが、スタッフがなんとかしたいという思いで頑張っていたことを思い出し、私は行ってあげてくださいとスタッフに言ったこから生まれたものでした。
私はどこでどうつながるか不思議なものだと思いました。
本当に何が起こるかはわからない。思い、信念が思わぬ奇跡を生むのだなと感じた1日でした。