アンナ・スウィルさんの催眠コースでの考え方の変化

催眠と言えば「眠たくなーれ、眠たくなーれー。」という言葉だけ
で、暗示をかけると思っていたのですが、全く違いました。

暗示をかけるというより、その方の持っている潜在意識レベルの答え
にたどり着くようにサポートしていくというものでした。

今も強く印象に残っている話は、迷った馬の話です。迷った馬を持ち
主の所まで届ける為に、幅1メートルの道を歩いていくのですが、道の
脇には馬のご馳走の草がたくさん生えている状況なのです。馬は草を
食べる為に何度も何度も、道からそれてしまうのですが、ガイド役
(サポーター)が進むべき道に軌道修正を行っていくのです。

ここでの軌道修正はアドバイス(こうするべき、これはいけない)や
批判するのではありません。馬が道にそれると、心の抵抗なく
進むように誘導をするのです。

それは、表情や声や雰囲気で心に抵抗がないかがわかります。

そして、道沿いのある1軒屋の前で馬が立ち止まったのを見て、ガイド
役は、その家のドアをノックします。すると中から持ち主が現れ、
「何故、私の馬だとわかったの?」と尋ねるとガイド役は
「私は知らないが、馬が知っていた」と言う話です。
答えは寄り道、時間がかかっていても馬の中(潜在意識)にしっかり
とあったのです。

私はこの話を聞いている時に、アドバイス(こうすべき)は、相手が
ぼんやりと潜在意識から出てくる答えに対して、邪魔をしたり抵抗が
生じたり、違う道に行くように指示をして、相手とのコミュニケー
ションに悪影響を及ぼし、信頼関係がなくなる恐れがあると思いまし
た。

しかしカウンセラー(ガイド役)の腕次第で、その人が悩んでいる事を
自らの潜在意識の思わぬ解決策に導ける事が出来るのだと気付き、
そのためにはカウンセラー(ガイド役)の心の柔軟性がとても必要
だと思いました。

私がこの催眠コースに参加したかったのは、さらにNLP心理学の勉強を
深めるのと、アンナ・スウィルさんが海外のターミナルケアー施設の
ボランティアをしている事を聞いていたので、とっても興味を持って
いたからです。

                                 
催眠コースは全2日間で、1日目を終えた日 アンナ・スウィルさん、
白石さん(通訳兼NLP心理学トレーナー)を囲んでの食事会が行われま
した。私は是非にも質問したい事があったので、偶然ではなく、すぐ
に同じ席に着きました。

ターミナルケアーとは、暗い終末医療の事だと思っていましたが、じっ
くりと話を聞くとすっかりイメージが変わりました。

これまで犠牲にしてきた家族との会話や、わだかまりを解消し、ずっ
とやりたいと思っていた趣味などを行い、今の自分の心に引っかかっ
ている事を解消していこうという考えなのです。やり残した事を十分
に行って心のわだかまりにさよならをし、自分を見つめる機会をもて
るというのです。

今回の催眠コースの参加で、アンナ・スウィルさんとの話は私にとっ
てとても貴重な心の気付きをもらいました。食事の席でもとても勉強
になりました。

予測を上回った100メートル

私は、3年前ほどに交通事故にあい、思うように歩けるようになるか
どうかわからないとお医者に言われていた谷田さんの家に月に2?3
回ほどタヒボ茶やサプリメント『ザ・ラスト』など届けに行っていま
す。以前にも交通事故にあった当時のことをブログに書いています。

知人の事故の後遺症にタヒボ茶を勧めてみてよかった!(前編)

知人の事故の後遺症にタヒボ茶を勧めてみてよかった!(後編)

お会いする時にいつも心がけている事は、気持ちを少しでも前向きに
持ってもらい生きる希望を持ってもらう、そしてリハビリの役に立つ、
今もっている最新情報を話すという事などを意識しています。そして、
レイキを行うと体が温かくなると言ってくれますので、時間がない時
以外は必ず行っていました。

この日は、とても暖かく肌着にシャツ1枚という格好で、歩けば汗を
かくほどの暑さです。20度はあったと思います。いつものように
谷田さんにお会いし、挨拶をした後、あまりにも天気が良かったので、
風呂上りで髪の毛がぬれていたのですが『家の前を歩きましょう』と
誘いました。

いつもは、私が横で手をもつか、後ろから腰を持って歩くなどしてい
たのですが、谷田さんの横につき、前や後ろに倒れても大丈夫なよう
に、おなかの前と背中の後ろに手をだしながら、私はかに歩きで一緒
に進みました。

そしたら、私のほうに寄りかからずに歩いているのです。ふらふらと
いつ倒れてもおかしくない様子ですが、倒れそうになるとご自身で踏
ん張れるようになっているのです。歩きながらも少しは支えたりした
のですが、ほとんど補助なく100メートルほど歩ききったのです。

私は、外で一緒に歩くのは1ヶ月ぶりでしたが、ほとんど補助なしで
歩けたことが本当にびっくりし、すごいと思いました。

その後、来た道をもどって歩きましたが、疲れたせいか補助の回数が
増えました。
休憩後、さらに坂道の往復を試みてみました。坂道の上り坂は、なん
とか順調にいけたのですが、帰り道になると少し疲れるみたいですし、
下り坂は自分のスピードの制御が大変そうでしたので、補助しながら
トレーニングしました。

私達は、夏の終わりごろ8月頃にはゴルフに行く事を約束しています。
そのため、少しでもリハビリをやめようとすると『年内にゴルフに行
けるようになりますか?もう少し頑張ってみませんか?』と言い続け
ていました。私は、近藤さんの話を聞いてから、目標設定がとても
大事であると谷田さんに話し続けていました。

それと、事故当初は『なんで生きてるんだ、死んだほうが良かった』
というような周りが悲しくなるようなことをよく言っていたのですが、
今ではまったく言わなくなり歩き終わった後に『この福祉施設はどう
思う?』など聞いてきたりして、目標に向かって前向きに考えられて
いるのです。

好きなゴルフをしたいと思う気持ちは、谷田さんのすばらしい可能性
を目覚めさせた奇跡の始まりであり、お医者さんでも予測の出来な
かったうれしい出来事でした。

闇に光を照らす存在

米国NLP協会公式認定「NLPマスタープラクテショナー」を取得
しました。

マスターコースは、10日間です。内容は、プラクテショナーで勉強
したスキルなどを使ったりして、問題の解放に向けての実践トレー
ニング、コミュニケーションを円滑に行う為のトレーニングなど
でした。

私はこのトレーニングの中で自分自身の生まれてきた理由を探る、
過去にさかのぼるタイムラインが印象的で、このタイムラインを
することにより、どのような存在になりたいのかという意味が
段々理解できてきました。

その時に、「闇に光を照らす存在」という言葉がうかんできたので
す。まさしくこのフレーズこそが私の生きる目的であり、とても
しっくりきた言葉でした。

3月3日、名古屋で世界一元気がん患者学ワールドが開催されました。
それに、私達と関わっているタヒボご愛飲者さんを何人かご招待
させていただいたのですが、その中でも埼玉県の方なのですが、
ご夫婦で是非とも行って欲しいとお話しさせていただいた方が
いらっしゃいます。

私は、そのご夫婦にお会いしに行った事もあって、特別な思いが
あります。ご主人さんは今病気と闘っているのですが、その間に
何人もの仲間と出会い、ご自身も闘病中にも関わらず、お見舞い
に行ったりして少しでも、仲間の為に勇気づけたりしている方な
のです。

そして、仲間に言った言葉が軽率であったのではないだろうかと
自問自答されたり、同じ部分の痛みが出てくると、仲間の本当の
苦しみがわかり、顔を思い出すなどの話をうかがった時に、
私が「絶対に生き抜いて欲しい」と言った方です。

私は、その方から元気ワールド参加後、メールで
「徹底して自然退縮の行動をとっていこうと考えています」
という一文があったので、スタッフと喜びあいました。

私達が話す事だけでなく、良いと思えた事などをお伝えして、何か
少しでも希望をもってもらえればいい!希望の光を持ってもらうに
は、色んな方法があり、タヒボ茶以外の情報を探してお伝えしてき
た事は間違えでなかったと思えた出来事でした。

余命1年と言われてから完全治癒の物語公開

近藤さんへの取材で一番驚いたのは、悪性リンパ腫ステージ4B
の状態で、長期目標として「1年後にガン完全治癒」と書き出し、
短期目標には「自分の治癒する為」の目標を設定した点
でした。

医者から「手術しなければ余命1年」と強調して言われた後に、
これらの目標を設定
したのです。

手術をしなかった(拒否した)のには、3つの理由がありました。
まず1つ目は、身内の方が抗ガン剤をしてすぐに亡くなった事。

2つ目は、大切な友人が何度も手術の繰り返して、ガンが治らないとい
うのを目の当たりにしてきた事。

3つ目は、近藤さんの担当医師の人間性に納得がいかなかった事です。

目標には、西洋医学の治療を受けずに代替療法を行っていきました。
その中でも自分の体に反応が出るもの。例えば、悪いものが出る、体が
熱くなるなど自分の体に反応の出るものだけを中心に行ってきたのです。

主に
? 玄米菜食
? 漢方薬服用
? 運動・体操・呼吸法
? 手当て法(里芋パスタ・ビワの葉療法)
? ストレス解消(仕事は中止)
? 規則正しい生活を実践されたのです。

これらを実践していくうちに、お腹にあったこぶし大の硬い腫瘍が軟ら
かくなっていきました。しかし効果を感じる事で自信がでてきた時に
胃の下部がただれて破裂し、すでに大腸から胆嚢にまで転移していたの
です。その腫瘍部分を切除して、意識がはっきりしないまま10日目に
抗がん剤を6時間の予定が心臓に異常がおき3時間だけ行いました。

抗ガン剤をうけたのは、意識がハッキリしてなくて、自分の意思で
行ったのではないこの1回きり。手術を受け、20日間は点滴のみでした。
(その時の体重は35キロで白血球2800)

退院後は、さらに根菜を中心に玄米菜食を徹底して行い、完全にがん
を克服したのです。

取材を終えての感想は、とても純粋に自分の直感を信じて行動している
方だと思いました。
「直感を信じる事は自分を信じている証拠。」とおっしゃられた時に
は、その言葉の重みが伝わってきました。

よく「近藤さんだから克服できたんですよ」と言われるらしいのです
が、そのように言われるのがとても嫌だそうです。

治った方と治らない方の違いは、
「どれだけ自分を信じて実践できるのか。」ともおっしゃってい
ました。命より大切な選択はないのだからと、仕事も全部すぐに
やめられ、人一倍「治したい」という気持ちと、自分を信じきった力
こそが完全治癒に導いたのだろうと強く感じました。

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大阪タヒボサロン会300人のなかで

  タヒボサロン会はリーガロイヤルホテルNBCで13時から17時まで
 行われました。

 内容は1部・2部形式で1部はタヒボジャパン社長の挨拶に続き、
 タヒボ研究者の研究内容
と過程について3人の方が講演してくださ
 りました。

 タヒボサロン会では少し、新商品の事について触れていました。
 それはどのような商品かといいますと、現在の商品の成分を何百倍
 の成分にして製品にするという画期的な物なのです。

 これは何を意味するかといいますと、

 1、値段の負担が少し減る可能性がある。
 2、袋数が多い方は、炊き出す手間が省ける。
 3、量を増やせば増やすほど苦くなるので、味のにがさから開放
   される。
 4、今までの十分な体験談を知っている方は結果・期待度がさらに
   増える。

 などかなりうれしい事ばかりなのです。まだ研究段階なので商品化
 されるかは決定でないのですが、順調に進んでいるみたいです。

 このような新商品の話もあったので、タヒボを飲む量を増やす事に
 よって期待がもてるという話の内容になるのかと思ったのですが、
 そうではなかった為に、どうしてもご愛飲者の方にとっては
 「タヒボを飲む量はどれぐらいの量を飲むのが良いのか?」という
  疑問をもたれた方が多くいらっしゃった様でした。

 それは、タヒボの研究者の方がNFDの体内に残る時間が短いため、
 危険性がないという事
、発表があった例の方の袋数が少なく、一定
 の良いとも言えない状態を保っていても、タヒボを飲む量もそのま
 まと言う内容であった・・・。

 私達にはこのような内容でしか研究者が言えないのは、みなさんそ
 れぞれ立場があり、研究者であれば飲む量など薬でないので、
 それを指導する事はできない、言えないなどがあるからと理解でき
 ます。

 また、私達であれば21年間タヒボNFDと関わってきた経験を通して、
 平衡状態であればその結果に対してタヒボNFDの量を増やしたり、
 食事を玄米菜食にしてもらったり、温灸器を使ってもらったりと
 何かこの結果から抜け出してもらうために、タヒボご愛飲者から
 聞いた健康法の情報をお伝えして、今まで行っていること以上の
 取り組み・心の持ち方を提案します。

 少し言葉を加えたり、強調して説明する所を変えると、人に与える
 影響は 変わってくると思いました。
 もしサロン会で新商品の事を強調し、何故このような新商品を開発
 する事に全力で取り組んでいるのかを詳しく説明していただけたら
 また皆さんに与える影響は違ったと思います。

 この誤解から名古屋から来ていただいたご愛飲者とスタッフがまた
 一段と深く確かめ合い、帰り際に「元気な顔でまた会いましょう」
 と声をかえあえた事が良かった!と思えました。