どん底から人生を変えた支社長の話

きせんワールド坂井社長のご友人が、某生命保険会社の支社長になられ関西で就任パーティーが開催されました。私も出席させていただきました。私は、子供の頃に支社長に何度かお会いしていたそうですが、まったく覚えてはいませんでした・・・。

パーティーには100人ほどの方がご出席されておりとても盛大なパーティーでした。
初めに支社長がとてもソフトな話し方でご挨拶をされました。その次には来場者代表として、きせんワールド坂井社長がスピーチをされました。スピーチの後には太鼓の演奏が始まり、生の太鼓の音にすごい迫力、心の芯まで響く力強い音色にとても興奮し、太鼓をたたいている姿に目が釘付けになりました。興奮冷めやらぬまま会食をしました。

パーティーが終わりを迎えるころに支社長のスピーチがありました。支社長はとてもソフトな話し方で保険の説明をされ、最後に「今日お越しの皆様は、ご契約をされなくても結構です。ですが、お一人を必ずご紹介下さい。」と言っておられました。私なら絶対に「皆さん必ずご契約下さい。」と話すのでこの言葉はとても印象に残りました。きせんワールド坂井社長は「あのソフトな話し方で『ご紹介下さい』と言われると、『紹介しよう』と思うなぁー」と言っておりました。

パーティー終了後に、会場のホテルの中にある社長室にお招きくださいました。社長室には何百人というスタッフの名前が書いてありびっくりしました。
部下は支社長よりも10年先輩で、皆さん関西のエリートといわれている大学出身。始めからポストを用意されている様な方々で、その中、何故学歴のない支社長がなれたのか。支社長は『ダントツの成果を出す事だ!』とおっしゃっていました。某保険会社に入る前は車の整備工場で働いていたそうです。それから自分で事業を起こし独立されたのです。しかし失敗し、借金を抱えてどうしようもない時代に、奥様が車を売って借金の返済を手伝ってくれたそうです。その時代は奥さんのお世話になってばかりだったとおっしゃっていました。その後、某生命保険会社に入社されて何十年後に、全国2400人いらっしゃる社員の中でトップの成績になり、支社長に就任。今まで学歴重視だった会社の体制が、支社長のパワーで変わったそうです。支社長のパワーはそれだけでなく、支社長に就任後、2ヶ月で支社の中でいつも下のほうから数えた方がはやい成績が、全国で支社の成績が1番になったのです。

また、支社長がお客様の会社に18日間連続で足を運ばれたお話しにもびっくりしました。18日間お客様に会いに行き、18日目に初めてお話を聞いてくださったそうです。そしてその社長に協力をする為、支社長はご自分のお客様をご紹介されました。この支社長が作った出会いにより社長の事業は大きく発展されたそうです。支社長の行動力がお互いを引き合わせたのだと感じました。それからは、毎月何百万もの保険料を何十年間もお支払下さっているそうです。支社長は「よくギブアンドテイクと言うが、ギブアンドギブで人に与え続けて喜んでもらわないといけない」とおっしゃっていました。

心から何とかしたいという思い、情熱、根性がなければ、耳も貸さないお客様の所へ18日間も通えないですし、出来ない事だと思います。信念で一日一日の積み重ねがあったからこそ予測出来ない成果をもたらしたのだと思いました。
私は、きせんワールド坂井社長が支社長と昔からの友人で、今まで大事に付き合いを続けていたからこそ、絶対に近づけない存在の支社長とお話が出来、いろいろな話を聞けた事に感謝です。
 
頑張れば素晴らしい事がきっとあると感じた一日でした。

P.S.
6月に200名入る会場をご用意してくださり支社長主催で、きせんワールド坂井社長が健康についてのお話をされる事がほぼ決定致しました。

地ビール世界一の社長の話を聞いて

3月に地ビールで世界一になった会社 二軒茶屋餅角屋本店の鈴木さんの話
を聞く機会がありました。鈴木さんは、大学から空手を始めて主将になり、全
国大会準優勝の実績をもっておられる方です。私は大学から空手を始めたのに
すごいと思いました。鈴木さんが言うには、『本当に私は空手が好きで空手バ
カだった!毎日全体の練習が終わってからも練習をしました。練習は人一倍し
ていたね』とおっしゃっていました。当時は練習のしすぎで体に過度な負担が
かかり、血尿がでるほどだったそうです。

そんな鈴木さんは、『5年で世界一の地ビールを作る』という目標を設定されま
した。鈴木さんいわく、「夢に期限をつける事で、夢が目標になる!期限の無
い夢はただの妄想だ!」とおっしゃっていました。

鈴木さんは、自分の作った地ビールを世界一にするためにまず、世界各国のビ
ールの味を知らなければならないと、難関といわれるビールの審査員試験にチ
ャレンジをされました。鈴木さんは1年間、空手が終わってから毎日研究室に
閉じこもって大好きな微生物の研究にエネルギーを集中させており、研究室で
寝起きをする事もあったそうです。ビールの審査員試験の内容が、鈴木さんが
研究をされていた内容と関係が深く、見事学科試験を最高得点でクリアされた
そうです。

この難関と言われる試験に見事合格し、ビールの審査員になられました。そこ
で世界のビールの味、業界のあり方を実感したかったそうです。

そしてアメリカで世界大会が開催された時には、日本人は審査員に二人選ばれ、
その内の一人が鈴木さんでした。アメリカの大会では、当時英語にはあまり自
信がなく、大会前の打ち合わせで全くといっていいほど理解できなかったよう
ですが、『私はビールの味を審査しに来たのだから英語が話せない事はそんな
に気にならなかった』と言われました。大会では世界の味を感じ、また、終了
後同室の方との会話も貴重な体験だとおっしゃっていました。同室の方はとて
もビール作りにこだわっている他国の審査官でしたので、鈴木さんが長年疑問
に思っていた事を質問してみると、一瞬にして答えが返ってきたそうです。

このような経験から鈴木さんは、『国税局から競争相手、異業種までも味方に
した方がいい』とおっしゃいます。それは、たくさんの本を読むより、専門家
に聞くことで一瞬のうちに答えを得られる事が非常に多いからだそうです。

会社のスタッフには、『世界一の地ビールを作る。』と言い続け、そしてつい
に6年後、オーストラリアで行われた世界大会で金賞を取り、世界一の称号を
獲得したのです。

私は、鈴木さんの講演でとても心に残る事がありました。
一つ目は、目標を立て、その目標を実現した状態から今の自分を見て計画を立
     てる。
二つ目は、『気合』があれば何でも乗り越えられる。
三つ目は、自分のしている事が、寝ても覚めても好きでいれるか
四つ目は、何事にも素直な態度で接している姿(謙虚)です。

当たり前の事ですが、私はとても心に残りました。
世界一を獲得する方も基本的な事を非常に大事にするのだなーと思いました。

講演が終わってからラッキーな事に夜中まで鈴木さんを囲み、8人でお話を聞
ける事になりました。実は、講演会後鈴木さんを囲み懇親会があったのですが、
鈴木さんは女性陣に囲まれていてほとんど質問が出来なかったので、懇親会が
終わり私は帰ろうとしていました。するとこの講演会のきっかけを作ってくれ
たタヒボ茶の代理店をしている昭和法規の川田君に『何人かで集まって飲みな
おすみたいやで』と言われ、私はまたみんなで会えるし、時間も遅かったので
『鈴木さんが行くなら行くわ』と言って別れて駐車場に向かいました。

すると電話が鳴り、鈴木さんも一緒だからと言うので行く事にしました。私は
走ってみんなの元へ向かいました。すると、真珠のデザインの仕事をしている
谷さん(兄貴みたいに何でも話せる人です)に『鈴木さんが来るっていうから
って・・・』と言われましたが。

 確かにちょっと後ろめたかったのですが・・・。講演会で質問できなかった
事が隣で質問できたので本当にうれしかったです。
何があるか本当にわからない。だから幸せもどこからやってくるかわからない。
その幸せをどんどん感じるためには、積極的思考が本当に大事だと鈴木さんと
お話しをしていて感じました。そしてこのような機会を与えて下さった方々に
感謝すると共に、感謝の気持ちを持つことがとても大事なのだと感じました。

P.S.
昭和法規の川田君に『鈴木さんが行くなら行くわ』と言えたのは、彼とは本当
に仲がよい友人であったことと、自分が素直に思っていたことを口に出来た積
極的言動だからだと思っています。何気ない一言で本当にこの日は学ぶことが
たくさんありました。

友人との新年会

1月のはじめに友人宅で、昭和法規(弊社の代理店)の川田君を含む23人で新年会をしました。皆で鍋をすることになり、鍋の水はもちろん私が持参した高解離プロトン水。友人が材料を切って、なんと!私が鍋に材料を入れる担当となったのです。

以前大阪でのタヒボ講演会にも来てくれた友人が味付けをしてくれ、とてもおいしい鍋が出来上がりました。皆が「おいしい、おいしい」と言って食べていると、野球仲間の友人がここぞとばかりに『鍋がうまいのは水がええからやなー。これは高級なやつやからな?』とニヤニヤ言うのです。私は『もうええ、もうええ』となぜかとても恥ずかしくなってしまいました。(照れ屋な一面もあるんですよ、、、)
なぜそう言ったのかと考えると、その友人とは高校からの付き合いで、野球仲間でもあり、友人の奥さんも高校時代から知っています。その二人になんと子供が出来るのです。(去年の12月に妊娠したのがわかったのです。)
私は、すごくびっくりしたのと「どんな子供が生まれるのやろー」という期待感でいっぱいになりました。そこで元気な子供が生まれて欲しいと思い、会うたびに20リットル容器に高解離プロトン水を入れて渡していました。『やっぱり違う。おいしい』といってくれるだけで私はうれしかったのです。そんな事もあり、たぶん私の変わりに水の宣伝をしてくれたんだなーと、思いました。
その他に、『付き合って半年で結婚します宣言をしたカップル』、『東京から大阪に帰ってきてた女友達』この子は7月に一人で世界一周旅行をすると言っていました。『野球のメンバー7人』『和太鼓で全国各地を回っている夫妻』『教材販売を考えている友達』『心理学の勉強をしている女友達』『航空会社のグランドホステス』など、沢山の人が集まりました。皆からそれぞれの話を聞くことが出来てすごく面白かったです。(友達が言うには、私はお酒を飲むと少しエロトークになるみたいです。、、、少し反省)

 とても楽しい委気分を味わった後振り返ってみると、タヒボの販売をしてくれている川田君と今日まで深く付き合うことが出来、また、沢山の人と知り合いこのような新年会ができたを事をとても幸せに思いました。

中国での出会い

私の高校時代の友人が上海中医葯大学に留学したのを機に、私も中国に行く事にしました。中国は初めてでしたのでとても楽しみでした。
中国で、友人に中国人の徐さん、丘さんを紹介していただき、一緒に食事へいきました。二人はとても日本語が上手でいろいろな事を聞くことが出来ました。私は、日本語を上手に話せる二人の収入が何故か気になり尋ねてみると、1日8時間労働の週休2日、日本円で月3万5000円でした。日本では考えられない額なので私は凄く驚きました。また、食事も一人400円ほどでとても美味しい料理を食べることが出来ました。タクシーも初乗り140円からと物価が全くと言っていいほど日本とは違いました。お金の大切さを身にしみて感じました。

他に、中国では漢方などが流行っているのかを聞いてみると、あまり流行っているわけではないようでした。誰もが漢方を飲んでいるのではなく、日本と同じように一部の方達が飲んでいようです。気功もあまり認知度はなく、信頼性に掛けるようです。

徐さん、丘さんには、買い物にもついて来てもらいました。店員さんとの交渉などとても親切に買い物の仕方を教えてくれました。その中で驚いたことは、商品のチェックです。電化製品などは正常に使えるかを確認し、果物などは一個一個厳重にチェックするそうです。日本では、電化製品の新品は正常に使えて当たり前ですが、中国では全てチェックするのが当たり前のようです。知らなければどんな物を買ってしまっていたかわかりません。
お二人には本当に色々な事を教わり、助けてもらいました。

もう一つのエピソードは、中国といえば桂林というぐらい風景の有名な場所があると聞き、早速、徐さんに飛行機のチケット、ホテルの予約をお願いして桂林に行く事にしました。友人も中国に来てまだ間もなく、私と1日しか滞在日数が変わりません。中国語も日本で1年間勉強していましたが、現地の人が話す言葉までは理解できない状態でした。
徐さん、丘さんは、二人で『大丈夫?』ととても心配していましたが、私は日ごろから『何とかなる!』と考える性質なので『大丈夫!大丈夫!』と返事をしました。

そして出発の日、友人が学校の都合で遅刻してしまい飛行機には乗れませんでした。
友人もまだ空港に着かないし、私も除さんに頼りきっていたので慌てたのですが、まず、航空会社に日本語で話し、文字を書いて交渉を試みましたがやはり全く通じず、カウンター越しで中国ガイドを片手に片っ端から電話をし、日本語が通じる旅行会社を探して代わりに交渉してもらいました。運よく翌日チケットが取れ、晴れて出発できることとなりました。

桂林では、『りこう下り』といって4時間半かけての川下りが有名なので行きました。
またも出発5分前とぎりぎりに着き、何隻も船が止まっているのを見て慌てていたので、ガイドさんらしき人を見つけたのでチケットを見せて『ココ』と指差すと、中国人ガイドさんで日本語が話せる人だったのでなんとか船に乗ることが出来ました。川下りが終わり、そこから町へ1時間かけて戻り、2時間ほど町を探索し空港に行こうとしたのですが、帰り方がわからなくなりました。困っている時に偶然、先ほどのガイドさんと遭いびっくりしました。その方は寧さんというお名前で、ガイドの仕事上、日本語の1級試験を受けるとおっしゃっていました。「だから、日本語が上手なんだと」と思いました。
空港に行く方向が帰り道だと一緒についてきてくれました。「これも凄い縁だな」と感じました。一緒に写真を撮り、メール交換をして友達になりました。(今ではメル友です)

中国では、全く計画性がなかったわりには友達が4人(全員女性ですが)でき、中国の情報が聞けて、最後の最後で奇跡的な出会いがあり、非常にうれしい気分のまま旅が終わったなと感じました。
計画性があればもっといい旅だったかもしれません。でも、本屋で売っている最新の中国ガイドは現地の人からすると内容が古いと言われましたし、誰かが作った情報を信用して、頭で出来上がったイメージ(思い込み)で旅をするのもいいですが、常に探究心を持って、現地の人の話を聞きながらの方が勉強になるし、スリルのある旅が出来たと思いました。そして、人に聞く勇気、行動する勇気がなかったら楽しめなかったなと感じました。

私は、昔テレビで見たスポーツ選手の言葉をとても印象的に覚えています。『背中に砂時計があり、その砂時計はいつになったらなくなるかはわからないから、一日一日悔いの残らないように精一杯練習する!』という言葉です。

私は、この言葉を胸にこれからも何事にも挑戦できたらと思います。